2016
12.22

10数年前のいたずら書き

Category: 懐かし話
きょうは寝るほどではないけれど少し不調でした。
夕方また37度前半の熱と、リンパか神経の痛みが出てきましたが、へいきです。

昼は暖房がいらないくらいの温かさ。
年末だもの、せめて気になっている一部だけでも片づけようと、ほとんど出し入れのない棚のものを引っ張り出しました。
点字の古い資料、昔作成した子供会の資料など、今まで取っておいた意味なんて全くない、早く捨てればよかったのに。
ポンポンと気持ちよく片付きました。
きょうは燃えるごみの日、そのままゴミ置き場へ直行。

あら、こんなものがというのが出てきましたよ。
10年以上前、家中で溺愛していたニャンの似顔絵です。

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彩椛ママがマウスで描きました。
ニャンの名前はスカーレット。夫が名づけました。

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こちらは夫が。
懐かしい2枚です。永久保存。

ジャムのビンに頭を突っ込んでビンを引きずっていた子ネコ。
獣医さんに抜いてもらって、我が家のアイドルになったのでした。
このアイドルにどれほど慰められたことか。


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2016
12.16

漏水の話

Category: 懐かし話
昨日、水回りの冬支度のことを書きながら思い出したのは、40年前のこと。
夫は死の病の原因となった仕事、建築設備配管業を営む父親の会社で働いていました。
その頃は会社の規模もさほど大きくなく、一般家庭の修理なども受けていました。

今より寒さが厳しかった昔、水道管の保温は藁縄やぼろきれなどを巻きつけて凌いでる家庭が多かったものです。
ですからちょっと寒い日が続くと、凍った水道管は融けないままさらに凍りつき、よく破裂したものです。
日中は職人が走り回りますが、夜職人が帰った後は夫の出番になります。
暮れも正月もありませんでしたが、手に負えないときはとりあえずキャップ止めして帰ってきたものです。
昔は井戸水のある家庭が多かったのでさほど文句も言われなかったのですが、申し訳ないことでした。

よく覚えているのは、配水本管の漏水です。
漏水当番というのがあって、市の仕事を請け負っている数社が回り番で暮れと正月を守っていました。
その当番日の正月二日の寒い夜でした。夫は昼から祝い酒。
連絡があった時にはかなり酔っていましたが、職人に電話をして、自分も支度をしました。
でも、酔っ払いに運転させるわけにはいきませんから、私が運転手です。

車のフロントガラスはガリガリに凍りついていて簡単には融けない。待っていられずに、融けかかった隙間から覗くようにして運転して現場に急ぎました。
漏水は凍結ではなかったと思いますが、大量の水が流れていましたから足元は泥んこ。
・・・酔いの冷めた夫が職人に送られて帰ったのは、朝方になってからでした。

運悪く当番の日の漏水は何度かあったと思います。
当番の日はお酒を控えればいいのに、運転手の私がいるのをいいことにしていたダメな夫です。今では許されないことですが、昔はこんなこともあったのでした。
甘やかしていた私が悪いのですが、これも今となっては懐かしい思い出。


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  おうい雲よ
  ゆうゆうと
  馬鹿にのんきそうじゃないか

などと、昼間はちぎれ雲を見てたのに、夕方になってどんどん数を増して、冷たい風も吹いてきて。
こんな晩は、凍結で呼び出されたっけね。
明日朝の水戸は、-3℃の予報。



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2016
02.24

納豆ご飯

Category: 懐かし話
高校生の時は福島の田舎で電車通学をしていました。
真っ直ぐ家に帰らずによく友人の家に上がり込んだものです。
恋愛のこと、人生のこと、文学のことなど幼稚な意見をぶつけ合って、時の経つのを忘れたものです。
遅くなると泊ったりもしました。
家にはまだ電話がなく、親はなんと思っていたのでしょう、信じてくれていたんでしょうね。

友人の家庭はおかあちゃんが旅館の仲居をしていて、夕方から家を空けるのでした。
出る前におかあちゃんがかまどでご飯を炊いてくれました。
ある日、お腹を空かして帰った二人に、炊きたてのご飯を丼に盛ってくれて、おかずは納豆でした。
経木でくるんと3角に巻いてある納豆にネギを刻んで入れて、醤油をたらしただけの納豆ごはん。
そのおいしかったこと。
人生でいちばんおいしい夕飯だったと今でも思います。

今夜は何10年ぶりかのネギ入り納豆ご飯、炊きたて。
夫は生の刻みネギが嫌いなので、いつの間にか私も納豆にネギの食べ方をしなくなっていました。
50年前のおかあちゃんの納豆ご飯には及びませんが、おいしく食べました。



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遺影わきの 今週の花は
黄色っぽく写ってしまいましたが 
アオモジ  
フリージアとスイトピーをあしらって 


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2015
06.14

遠足のお弁当

Category: 懐かし話

懐かしい話なら続けていけそうな老人のわすれ草です。

ふっと思い出したのが、小学校の遠足のおやつに欠かせなかったキャラメルのことです。
赤い箱の明治クリームキャラメル、黄色い箱の森永ミルクキャラメル。
赤箱と黄箱の中身を友だちと交換したりしましたね。
今でも時々食べたくなります。

遠足にバナナを持って行ったのはいつごろからか覚えていますか? 昭和20年代生まれの方限定の話題かもしれませんが。
私は小学校高学年だったような気がします。昭和36年ごろです。
戦前ソウル(京城)育ちの母は、台湾バナナをおやつにしていたそうですが、戦後バナナは高級な果物になってしまい、そして昭和30年代後半ころから庶民が食べられるようになったそうです。

それから遠足といえばゆで卵だったのは我が家だけ?
ゆで卵も特別な日のご馳走だったと思います。運動会のお昼にもありましたね。

運動会と言えば栗ごはん・・・
年寄の昔話が続きます。やめましょう、このへんで。


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東京へ遊びに行ってる間に
咲いていました 百合
黄色も 植えたんだっけ?



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2015
06.12

高校の音楽

Category: 懐かし話
昨日の続き。
あのころ聞いた音楽、書ききれないけど、忘れていけない、ABBAとカーペンターズ。
きょうは『BS世界のドキュメンタリー』 「永遠のABBA アグネッタの告白」を夫と一緒に見ました。
なつかしい、懐かしいと懐メロ見ている老人の私。
思春期の頃、懐メロ番組を見て一緒に歌っている老人(母)を受け入れられなかったけど、うん、老人になって初めてわかるこの懐かしさ。
歌も懐かしいけれど、流れていた時間が懐かしいのですね。


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ニワゼキショウ


音楽の話、懐かし関連で。
高校生になった時、芸術教科は音楽を選択しました(他は美術と書道)。
先生は教科書のほかに20枚くらいのプリントを持ってきました。
先生がポロロンとピアノで伴奏したのは「夜明けの歌」。
びっくりしましたね、高校ってこんなに自由なんだって。
その後も教科書はあんまり使わなかった記憶があります。
良かったんでしょうかね、カリキュラム的に。単位はもらえたんだから良かったんでしょうけど。
「夜明けの歌」のほかに覚えているのは、ドイツオペラやイタリア歌曲です。発音も意味もよく分からないで歌っていましたね。
タイトル通り昔々の話です。


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2015
06.11

少女時代の思いで

Category: 懐かし話

昨夜はNHKの「ビートルズ旋風 初来日 熱狂の103時間」というドキュメントを見ました。
国賓なみの過剰警備だったとか、そういうことは過去の話なのでもういいのです。
チケット代がLP1枚分の金額だったということに驚きました。
ごく普通の家庭で育った私も、工面すればLP1枚くらいは買えたはず。
でも悲しいかな、田舎暮らしではコンサートに行こうという考えがまず浮かびませんでした。
同時代の女の子がチケット握って武道館に行く姿が映っていましたが、田舎の私たちには思いもつかないことだったんだ、フッと笑ってしまいました。

ビートルズを聴いたといっても、中学生の私はレコードも買えず、聴くのはもっぱらラジオ放送。
それも夜。東京のキー局の電波はピーピーとノイズが入り、音も波があってとても聴きづらいものでした。
北海道の放送や九州の放送も入ったり、ロシア語に邪魔されたり、夜のラジオは賑やかだったわねぇ。
ここまで書いて、あの頃の狭い自分の部屋が目に浮かびました。
田んぼを渡ってくる涼しい風まではっきりと思いだせます・・・ああ懐かしい・・・
モンキーズ、ビーチ・ボーイズ、サイモン&ガーファンクル、もっと古くはポール・アンカ、トニー・ベネット、プラターズ、ナット・キング・コール、シナトラ、プレスリー ・・・


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えーっと、何が書きたかったのか分からなくなってしまいました。
よって、今夜はここでおしまいです。


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