2017
03.18

ホットライン・講演会・交流会

茨城県民文化センター会議室、きょうが本番でした。
講演会が13時から。それに間に合えば良いのですが、気になるのでホットラインの会議室へ差し入れを持って早めに顔を出しました。
開始から1時間がたっていましたが、直接訪れてくださった方、電話も何本かかかってきているようで、対応のスタッフが忙しくしていました。

アスベストを心配している人、家族のかた、こんな電話は少ないほうが良いのですが、それでも、新聞記事を見てくれた人がいたんだ、何かお役に立っているんだと思うと、ホッとした気持ちになりました。
相談総数は10数件になったそうです。
感心を持ってもらうことがいちばん、そして次には救済につながるお手伝い。茨城での第1歩が始まったようです。

交流会では、去年夏にお見舞いに伺い、冬の初めにご主人を亡くされた方がお見えになり、お悔やみをいうことができて胸のつかえが取れました。
家から外へ足を運ぶ、このことができたことだけでもこの方にとっては大変なことです。気持ちを奮って出てきてくださってとても嬉しいです。
県北・県南から出席くださった方たちもいらして、有難いことです。

交流会は予定時間を大きく過ぎて、「またお会いしましょう」と声を掛け合って別れました。


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世界遺産に登録されたヴァレッタ
休日はこんな具合


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2017
03.16

記者会見

つまらない、つまらないと言っていたけれど、まあ、やることはやっていた毎日でした。
まずは点訳、順調に進んでいます。
点訳の先輩とも skype で思いっきりお喋りしたし、雪の心配がなくなったら遊びに行く約束もして。
だから、ウダウダ言うのは止めました。
明日は友だちとのランチの約束もあります。
あら、まあ、忙しくなりました。

きょうは、県庁の記者クラブとやらへ行って、明後日18日の集まりの広報記者会見に臨みました。
アスベスト疾患・患者と家族の会が、講演会と電話相談会、そして交流会をします。
事務局から二人、私ともう一人の遺族が出席しました。
5社の記者が取材してくれ、4人がそれぞれの立場でお話をして、その後質問に答えて。
30分の予定が1時間以上も話を聞いてもらえました。
明日と明後日の朝刊の地方版に記事を書いてもらえそうです。

まずは、快調なスタート。18日にどれだけの人が集まってくださるか。

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マルタ島からフェリーでゴゾ島へ


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2017
02.28

ホットライン相談会&講演会

患者と家族の会の事務局からメールがきました。
中皮腫の相談会と交流会へのお誘いでした。

「アスベスト被害 ホットライン相談会&講演会」を茨城で開催します。
アスベスト被害を世間に知ってもらい、被害者の発掘、救済の手助けをしようというのが趣旨です。
茨城の救済・補償は全国平均を下回っているそうです。
どこに相談して良いのか分からない人、手続きの難しさに足踏みしている人たちの相談を受けるホットラインを開設します。
患者・家族・遺族の交流会も行います。そこへの参加のお願いでした。
それに先立つ、県庁の記者クラブでの会見にも出席できないかということでした。

夫は自分が役に立つことならどこへでもと、家族会の10周年の集いへも出席し、壇上でコメントをしました。
私にもできるだけみなさんの役に立つようにと言い置いていました。
ですが、ひとつ気になることがあって、子どもたちに相談しました。

なぜ自分で決められないかというと、それは。
アスベストで命を奪われたというのに、労災給付を受けているということで妬まれて、いわれのない中傷を受けた遺族がいるのです。
「労災給付を受けていることは他人には知られないほうがいいわよ」
ほんとうに悲しいことです。

そんなことに負けないで! でも夫を喪ってまだ1年半、傷つくのが恐いです。
子どもたちは当然、お母さんがしたいようにすればいいと励ましてくれました。
けれども、名前・写真は伏せてもらうのが良いのではないかと。
嫌な心配だけれど、名前を出して傷つくかもしれないお母さんが心配。だって珍しい苗字なんだもの。
それにお母さん、独居老人だし、どんな悪い奴がいるかもしれない。

正々堂々とすればいいと思うけど、子どもたちの心配も考えて、小骨がひっかかったような形だけれど、匿名で臨むことになるかもしれません。悲しいけど。
でもね、お役にたてるよう、精一杯がんばります。


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電話かけるからさ、写真撮って。
どこへさ? ふりだけ。

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ちょと、この歩道アビーロードっぽくない? 
とくればこのポーズだよね。



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2017
02.17

強風の日

Category: 介護
春いちばんが吹いたのだそうですね。
こんな強風の日は辛いことを思い出します。
あの人が逝ったのも朝から強風が吹く秋の日でしたから。
きょうまで、あの人の最後を書くことが出来なかったけれど、きょうは書けそうなので記録しておきます。記録です。

「ご主人、本当によく頑張りました。考えていたよりずっと頑張っておられました。2,3日、若いからもう少し・・・けれど、週を越えることはないと思ってください」
と、前日訪問の医師に告げられたのに、こんこんと眠るあの人がいなくなるなんて思えなかった・・・

だからいつもは冷たい手足がきょうは暖かいのを、良い兆候だとさえ思ってた馬鹿な私。
高熱が出ているのだと分かって看護師が急いできてくれて、バイタルチェックは瞳孔反応からでした。

「おとうさん、もう十分がんばったよ。私たちは大丈夫、心配ないから。安心していいよ」
「おとうさん、もういいよ。がんばらなくていいよ」

看護師が時計を確認して。
「え? 今ですか」というほど静かに逝ったのでした。
ゴーッと強い風が木を揺らしていました。
「おとうさん、この風を待ってたんだよきっと。風に乗ってモンゴルへ行ったんだと思う」
そう思いました、不思議にそう思うと心が休まる気がしたのでした。

遊びに行こうよと誘っているみたいな風が吹くときがあります。
そんな時に空を見上げると、飛行機がキラリと光ったり、航空灯が見えたり。
堪らない気持ちになるのです。
でもね、大丈夫。私は元気ですよ。


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2017
02.14

必要書類

書類整理をしました。まだ終わらない手続きが出てきたのです。
車を廃車にした時に、重量税と自賠責保険は口座に振り込まれました。
自動車税は県税事務所から、銀行窓口で受け取る書類が送られてきていました。
有効期限が1年というのを確認してしまいこんでいましたが、先日見つけてもう一度よく見ました。
そうしたらこの書類、受取人は夫でした。夫名義のまま車に乗っていたので、自動車税も夫名義で支払っていたのです。
夫はいない。誰が受け取る? 委任状を書く欄があります。でも夫はいない。

県税事務所に電話しました。そうしたら1万6千円を受け取るために、必要な書類が送られてきました。
なんと面倒なこと!
分割協議書みたいに相続人全員の同意が必要なのです。
筆跡までは見ないという話だったので、私が全員分の住所氏名を書き、100円ショップでハンコを買いました。
その他にも必用書類はあるのです。
夫の除籍謄本のコピー。数か月前のがありました。
家族関係が分かる戸籍謄本のコピー。ずいぶん前に取って使わなかったのがありました。子ども達が確かに相続人だと分かればいいのでしょうと勝手に判断。
代表者私の身分証明のコピー。

1万6千円のために揃えるばかばかしさ。でも、めんどうだ、要らないよとも言えない金額。
これでだめだったら、故郷の市役所から原戸籍を取らなければなりません。

除籍謄本、戸籍抄本、住民票、印鑑証明書等々、何枚も取ったのに。
役所の融通のきかなさ、ほとんど原本添付。コピーでいいと思いませんか。そうすれば何枚も用意しておけるのに。

知らんふりして、筆跡を変えて委任状を書いて受け取っておけばよかったのかもしれないね。


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2017
02.12

家族会での昔話

昭和24年生まれの私ですが、私より若い方たちには、全く違う世界のような話かもしれません。
昨日の家族会の時に話題にして、私の記憶が間違いではなかったことが分かったので書いてみます。

昨日集まった遺族は私を入れて7人でした。そのうちの3人が同い年だと分かりました。それから3人が福島県出身、山形・秋田と東北出身が5人いました。
そこで上京した時の話になって、私がみんなにこう聞いたのです。

「私の周りではそんな記憶はない。戦後23年経ってるのに、そんなことあるわけないとずっと否定されてきたけれど。昭和43年に上京した時に、住民票と一緒に米穀通帳をを持って区役所に行った記憶があるのよ。思い違いかなぁ」
すると、
「そうそう、そうだったよ。それがないとお米が買えないということはなかったけど、住民票の移動の時はセットだったよ」
「実家が農家だったから米穀通帳を持ってなかったんだけど、その時に作ったよ」
「寮に入るときに、米穀通帳と一緒に、お米も提供させられた記憶があるよ」
いろいろ出てきました。
中学の修学旅行の時、お米を袋に入れて持って行って旅館に出したとか、信じられますか?
たぶん、私たち昭和24年組が最後かもしれないと思いましたが。ほんとうにそんなことがあったのです。

それから、修学旅行専用列車「きぼう」「ひので」の話など、手もしっかり動かしながら、同年代の者たちが喜ぶ話で盛り上がる楽しい集まりでした。
「ここにねぇ、お父さんたちがいたら、もっと盛り上がったのにね」
みんなに共通する思いでした。


s-P_20170205_081241.jpg先日新聞に載った環境再生機構の「石綿健康被害救済制度」の広告です。
藤本義一さんも中皮腫で亡くなっています。スティーブ・マックイーンも同じ病です。

昨夏の石綿健康被害救済小委員会を多くの患者・家族が傍聴しましたが、再生機構のこの広告に貢献できたのだとすれば嬉しいことです。



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2017
01.28

「ジャパンキャンサーフォーラム2016」 名取医師

中皮腫と診断が確定し、闇の中を歩いているようなときにウェブで知った「中皮腫・じん肺・アスベストセンター」と「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」。
水戸の集まりが始まったことを知って、藁をもつかむ気持ちで訪ねました。
藁なんて失礼な、強いロープを差し出していただきました。
患者のために全国を巡って回られる名取医師。
夫がいちばん信頼した医師です。




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昨夜書いた叔母ですが、入所している老人ホームに電話をして、元気でいるとわかりました。
これから叔母に手紙を書きます。
お習字の先生の叔母に手紙を書くこと、悪筆の私は緊張しますが、元気でいてくれたことに感謝して、がんばります!
暖かくなったら神戸まで会いに行きたいと思います。


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2016
11.07

朝日歌壇より

  愛といふ曖昧なものふつ飛びぬ介護のひとり抱へてみれば
                         (武蔵野市)三井 一夫

  言うほどの仲良し夫婦じゃなかったが逝かれて一年何このさみしさは
                          (田辺市)池添喜伊子


今朝の朝日歌壇から二首。
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介護とはいえない程度の夫の介護。
愛をもってしても辛い、というより、愛だけではできない介護の現場。
短い期間だった夫の自宅介護。
辛かったけれど、夫は私たちに心の準備期間を与え、それからに耐えられるよう愛の時間をくれたのだと、今は思います。
エエカッコして逝ってしまった。


傍からは仲良し夫婦と思われていました。
山坂谷ありの40数年。きれいごとだけではなかった。
1年が過ぎてから感じる寂しさ。
涙腺は今頃やっと過活動を始めたらしい。


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2016
11.01

不意打ち

物置に入ってゴソゴソ探し物をしました。

去年の暑い時に、夫は呼吸も苦しかっただろうに、やはり物置でゴソゴソしていました。
小1時間たったころ部屋に戻って、
「片づけたから。分かるようにしておいたから」

中の物の名前を書いたテープを引き出しに貼って、整理してありました。
探し物はすぐに見つかりました。
そのほかの引き出しの中身は、ほとんどが夫のもので、夫が使う工具類や材料でした。

物置から出てふと空がきれいなのに気づきました。
そして不意打ちを食らったのです。
「私にはどうやって使っていいか分からない工具ばかりだよ。あなたが来て使ってよ」

・・・・・・

テレビを見ました。
クリント・イーストウッド製作・監督・主演の「ブラッド・ワーク」。
彼が演じるところの、心臓移植を受けた元FBI捜査官が、時々胸に手をやります。
そのしぐさがそっくりでした。
夫も胸の違和感を感じた時に、胸に手をやっていました。
好きだったクリント・イーストウッドが同じことをしていた。

ただそれだけです。



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2016
10.27

1年が過ぎて

通過点に過ぎない一日だけれど、特別な一日だったきょう。
静かに一人で過ごそうと思っていたけれど、そうもいかない日になりました。

一年めに合わせて家族が集まろうとしても、祝祭日がだめ、学校がある、遠いし乳児がいるなど、みんなの調整がきかなくて、その日に集まることを断念しました。
冬休みに集まれる時で良いということになったのでした。

それじゃあ、お母さんが一人で寂しいだろうと、息子のお嫁さんTちゃんが来てくれました。
近所のおばさんに作ってもらったという白ふかしなど、お供え物をたくさん持って。
一人でも大丈夫と言ってはいたのですがね。
こんな日に一人にしておけない、というTちゃんの優しい気持ちを断ってまで、一人でいたかったわけではないので、午後の時間を一緒に過ごしました。

朝と夜には、二人から電話をもらって泣きました。
友人は、夫婦と私たちの4人が写った写真を飾っているのだが、いつも笑顔に引き込まれるようだと言います。
「まったく、にくらしいくらいの笑顔。憎いあンちくしょうよ」

もう一人は前にも書いたことがある、病院の奥さま。
仕事上のお客様だったのに、なぜか夫と気が合い、私をも可愛がってくださった方。
去年の夏に二人で訪ねた折り、帰りの車に乗り込もうとしていると、マンションの踊り場から奥さまが夫を呼んで手を振ってくださった、その時のことを夫は何度も言っていました。
お別れになるかもしれないと、その時夫は分かっていたのでしょう。
「良い方をあまりに早くに亡くしました。人はいつでもその時が最後になり得るんだと知りました」

みんなが夫を思ってくれている。みんなの心の中に住んでいる。
私一人だけの人ではない。

・・・みんなと一緒に特別な日を過ごせてよかった・・・


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