2016
10.03

埋葬のこと

夫は閉所恐怖症だったのです。
何年か前にチリで起きた鉱山落盤事故の時は、ニュースは消し、話題にもしませんでした。
「想像しただけで気が変になりそう」だったそうです。

「俺が死んだときお墓の下に埋められるのは嫌だな」
「ええっ、死んだら無だと言ってるくせに?」
「でもさ、なんとなく嫌だって思うのさ」

狭いところに入るのが嫌なら、海はどうでしょう。
私は海が良いと、海洋葬の会社も見つけて子どもに伝えてあります。
泳げないけれど、死んだら関係ないものね。
でも夫は泳ぐのが得意、海も大好きでした。
どうかしら、と娘と話し合いたいと思います。
何もなくて寂しいというなら、手元供養のための良い道具もあるようです。
と、今のところそんなことを思っています。

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返り咲きの十六夜薔薇とローズヒップ


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コメント
おはようございます。
私は、閉所と高所もダメなので、ご主人の怖さがわかるような気がします。

死ぬ瞬間、という本にある末期癌のお婆さんの言葉があったのを、記憶しているのですが、

「埋葬されて、蛆虫に食べられるのが、私は怖いの」
とても考えさせられて、ずっと心に記憶しているのです。

手元供養、ですか?
また、教えて下さいね。
dot 2016.10.04 07:55 | 編集
 ☆窓さん、こんにちは。

入院が長くなると、病室の無表情な空間にも圧迫感を感じたようです。
死んだら「無」と分かっていても、亡き人が残した言葉が気になります。
葬儀や埋葬などは、残された者たちのためにあるのだと感じています。お母さんが納得すればいいよ、と言ってくれるだろう子どもたちの気持ちも考えて、結論はもう少し先に。
よく考えてみます。

わすれ草dot 2016.10.04 11:26 | 編集
こんにちは。

私は高所恐怖症です。 テレビで見て居るだけで気分が悪く
なります。

100万円呉れてもバンジージャンプは嫌です。
夫の母も私の母も兄も皆献体をしました。

私達は献体 角膜移植を希望して居ます。
不信心なので何でもありです。
マロンとカリンdot 2016.10.04 14:14 | 編集
 ☆マロンとカリンさん、こんにちは。

以前のブログを読んだ時にお母さまたちとお兄さまが献体なさったと書いてあったのを覚えています。

献体や角膜提供を思わないでもなかったのですが、なんとなく話し合いが進まなかったのです。
私の思い込み(間違いだと今は分かっていますが)、あの大江健三郎の『死者の奢り』のイメージが強くて、そして一つしかない臓器がない人は献体できないと誰かに聞いたことなどのせいです。
順番を待っている間の死者の存在もすっきりと納得できないような気もしているのです。

マロンとカリンさんご家族はお偉いです。
死んだら「無」と思っている私なのに、献体を選ばなかった理由をうまく説明できません。
不信心は同じですのに。
わすれ草dot 2016.10.04 15:55 | 編集
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