2017
10.19

従姉と

冷たい雨の中、東京の従姉が母のご機嫌伺いに来てくれました。
母にとってただ一人の姪、従姉にとっても母はただ一人の叔母です。
私には父方のいとこが男女一人ずついますが、小さいころから交流はほとんどなくて、6歳年上のこの東京の従姉が唯一人のいとこです。
田舎暮らしの私には眩しい素敵なお姉さんだった従姉ですけど、今ではとても気の合う婆同士となりました。
多くを語らなくても分かりあえる、気心の知れたこの従姉の存在は大きいです。
年に1度くらい母を訪ねてくれ、娘が冷たい分、従姉がとても優しく話相手になってくれます。私の評価はその度に落ちていくのではないかと思い、苦笑します。

世の中は親子の愛は絶対だと信じる人が多くて分かって貰えないかもしれないですが、、母と馬が合わない娘というのもいて、私はその少数派の一人でしょうか。
従姉は「おばちゃんの足りないところ」と言って、母の性格の残念な部分を指摘します。「そこ、そこなのよ」と私は分かって貰えて安心します。
それでも従姉は「残念な部分を除けばおばちゃんは立派だよ」と私を諭すことも忘れません。

施設に入所している姉をも訪ねてくれます。
なにか姉の喜ぶ物と聞かれたので、文房具が一番うれしいよと言ったら、ペンケースの中にいろんな文房具を入れてお土産にしてくれました。
姉は、こんなのが欲しかったとニコニコ。
まったくそつのない従姉なのでした。


姉の施設の農耕班の稲刈り。10月初めの作業でした。
きょうも直売所でお昼をしましたが、この新米で炊かれたおいしいご飯を頂きました。

s-なs-る
落穂ひろいもていねいに。


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2017
10.18

あかちゃんふれあい体験

Category: そのほか
昨日、183センチ孫が、「明日エプロンを持って行かなきゃならないんだけど、忘れないようにあとでお母さんに言っておいてくれない?」と。
「調理実習なの?」
「いや、赤ちゃん体験」

きょう孫が帰るのを楽しみにしてました。
「赤ちゃん、どうだった、泣かれなかった?」
「可愛かったよ、泣かれなかったし」
年下のいとこを遊んでやった経験があるし、夏には小さい従妹に気にいられて、受験勉強ができなかったくらいだったしね。

s-67001_20171018_0006.jpg10組を超える赤ちゃんとお母さんが来てくれたのだそうです。
はじめは恐るおそるの中学生。泣きだす赤ちゃんもいて。
見てみたかったわ。ほほ笑ましかったでしょうね。
学校のHPに写真がアップされていました。

大切な赤ちゃんを連れてきてくださったお母さん、心が広いですね。
孫も他の中学生たちも、目じりを下げっぱなしだったことでしょう。
大事な経験をしたね。


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2017
10.15

遺族の声

中皮腫・患者と家族会の会合などに参加して、いままではサポートを受ける立場でしたが、これからは、微力ですが、サポートをする仕事を与えられました。
知識も少なく若くもない私が、ひとさまのお世話ができるかどうか心もとないですが、足と口が元気なうちは頑張ってみようと思います。
手はじめが昨日載せた「アスベスト被害者相談会&講演会」です。
先輩の後について邪魔にならないようにがんばります!

s-IMGP5049.jpg写真は昨日家族会で頂いてきた冊子です。
聖路加国際大学 看護学部の長松康子先生が中心に調査された、中皮腫患者の遺族に対するアンケートをまとめたものです。
家族は第2の患者とおっしゃる長松先生の温かい気持ちが、透けて見えるような調査結果にまとめられたと感じました。
と同時に、患者も家族も、とても納得いく医療を受けられたとは言えない、寒々しい治療の現実も見えています。
グラフなどでまとめられた前半。後半は、文書回答が続きます。
このたくさんの声が、提言が、医療者や看護者に、世間の人たちに届いてほしいものです。
私にできることは、折に触れて、このブログに書いていくことでしょうか。訪れてくださる10人の方が、3人の方に話されて、その方がまた3人に話してくだされば・・・
アスベスト疾患は過去の病気ではなく、これからも増え続ける病気です。関心を持ち続けて欲しいと思います。


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2017
10.14

埼玉・本庄相談会

家族会のお手伝い、東京亀戸で1日を過ごしました。
小雨の肌寒い朝7時に家を出て、夜6時に戻りました。
月に1回、家族会の皆さんに会うために出かけています。
家族会といっても、闘病中の患者の家族がボランティアに割ける時間は難しく、つまるところ遺族会となってしまうのは仕方のないこと。
最初に参加した時夫は元気で、みなさんにびっくりされたことでした。
できるだけ参加するようにと夫が言っていましたし、みなさんとの語らいが楽しみで、1日お出かけも苦になりません。

来週は埼玉県本庄市で「アスベスト被害者相談会&講演会」があり、そのお手伝いを引き受けました。
そこで宣伝です。(写真をクリックすると、少しは大きな画面になるかもしれません)

知らないだけで、本当は身近にあるアスベストのことを正しく理解していただきたい。
患者さんの力になりたい、埋もれている患者さんを救いだしたい。
そういう思いで活動しています。

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2017
10.13

一人居酒屋と「こ卯さぎ亭」

昨夜はちょっと信じられない酔っぱらい方をしちゃいまして。
彩椛ママに貰ったチューハイで、久しぶりに一人居酒屋したのですが、急に酔いが回ってしまったのか、頭がしびれたようになってきました。初めての感覚です。
体の力が抜けてテーブルに突っ伏してしまいました。でも頭の芯は覚めているように思いました。
・・・ キャサリン・ジェンキンスの歌が聞こえます。美しい声だなあ・・・幸せってこういう気持ちかなあ・・・このまま死んでもいいなあ、なんて思いました。
いやいや、なに言ってる、こんな死に方したら子どもたちに迷惑をかける。立ち上がって水を飲みに行きました。ガブガブ飲みました。
机に戻って、開いていたブログのコメントを、頭をグラグラさせながら読んでいたら涙がボロボロ流れました。ひとしきり泣いて「泣き上戸かよ」と独り言をいい苦笑い。
ぐっすり眠りました。


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きょうは友人の息子さんのことで嬉しいことがありました。
お料理上手な友は、生きていれば、この息子さんと二人でお店を開いていたはずです。
友が亡くなったあとで開いたお店、東中野の「こ卯さぎ亭」にテレビの撮影クルーが。
レポーターの女優さんがレポートそっちのけでお料理にぱくついて、
「これおいしいね」
友よ、嬉しいね。涙流れるね。
料理の腕も、人がらの良さも、友からそっくり受け継いだ息子さん。商売はなかなか難しいようですが、頑張れ!


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2017
10.11

栄養・水分補給の是非

Category: 介護
昨日大きな後悔と書きましたが、それは情報を生かすことができなかったことです。

6月はじめ、アリムタに有効性が認められなくなり、治療終了を告げられました。
そうなることは予想していたことでしたから、漠然とした延命治療拒否ではなく、きちんと終末期のことを二人で話し合っておくべきでした。
喉まで出かかったことは何回となくありましたが、夫を前にするとどうしても言い出せませんでした。
5月半ば、「俺な、正月はないような気がする」と言ったとき以降は、終末期のことを口にするのは更に辛く、酷なことに思えました。

終末期に関する情報は私一人の胸に仕舞いました。
その大事な情報のひとつが、死にゆく人に施す栄養や水分の補給は病人を苦しめるだけだということです。
そのことは、長尾和宏医師をはじめ多くの医療関係者が語っています。
なぜ夫と話し合わなかったのか、それが間違いの第1番目。
2番目は、訪問診療の医師が反対の立場だったことです。そしてそれを受け入れてしまったことです。

栄養補給と水分の補給が為されてから、夫は痰が絡むようになって、ひどく苦しめられていました。
一度は呼吸ができなくなって息が止まりました。そこで痰を吸い取るために、気管に小さな穴をあけるミニトラックの処置を受けました。
それでもIVHは続けられました。毎日疑問が頭の中で渦巻いていましたが、「これって絶対に必要なのですか」という一言が言えなかった意気地なしの私でした。
IVHが始まって10日が過ぎたころ、ついに私は前に入院していた緩和病棟を訪ねました。私の考えを聞いてもらいたかったからです。
病棟にいた若い男性看護師が話を聞いてくれました。
緩和病棟にいたとして、IVHなどをどうしたと思うかとの質問に、彼は施さなかったと思うと答えました。
涙を流しながら帰宅して、すぐに訪問診療所に電話をしました。「輸液を断わりたいと医師に伝えて欲しい」
すぐに看護師が駆け付けてくれ、点滴の速度を調整してくれました。輸液のルートには痛みどめが入っているので、すぐに止めるわけにはいかないという説明だったと思います。
そしてそれから4日後に夫は亡くなりました。

苦しみを増すだけのIHVだったのではないか。私が強い気持ちで反対すればよかった。
いろんな管に繋がれることを嫌がっていた夫だのに、私は代弁しなかった。
「先生、殺してくれ」とまで夫は言ったのに、医師も私も聞こえないふりをした・・・大きな後悔です。
    

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2017
10.10

延命治療

Category: 介護
夫の介護での後悔のひとつに、最後を詰めておかなかったということがあります。
「延命治療はしない」ことだけは互いに確認していましたが、どの処置を延命治療というか。
2人は、延命治療と言って思い浮かべる、心臓マッサージ・人工呼吸器・水分補給の点滴などをイメージして話していたに過ぎなかったのです。
そのことが、大きな後悔を生むことになったのです。

在宅介護が始まり血液検査の結果、栄養状態が極めて悪いので、中心静脈栄養(IVH)をしたいと言われました。

「私たちは延命治療はしないと話し合っていました。IVHはどうなのでしょうか。IVHは延命治療だというお医者様の意見を読んだことがあります」
「そういう考えの医師も、そうでない医師もいます。私はそうでない考えです。今は少し栄養をつけるべきだと考えます。状態がよくなったら抜くこともできます」

そのことを夫も納得した。
と思うのです。納得したからIVHが始まったと思うのですが、記憶が飛んでいます。
この時夫は意思表示ができていたはず。
と思うので、意思を確認したはずですが、記憶が定かではない。

この時IVHを断らなかった、迷った挙句受け入れたことが、夫を苦しめることになり、私は自分の意気地なさを責めるのです。



お口直しに
モンゴル旅行で友だちになったAさんの地元のお祭りの写真です。
鉄砲を担いで1日中走り回って発砲したんだとか。
手を叩いて喜んでる夫がいるように思います。
元気だったら絶対お祭りに行ってたわね。

s-鉄砲隊s-その2


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2017
10.08

訪問診療所

Category: 介護
2年前の今ごろは、入院していた緩和病棟を退院していました。在宅での最期を覚悟し、訪問診療の医師に初めて来てもらっていたころです。

訪問診療に関して書いておきたいこがあるのですが、重い後悔がどうしても先に立って筆が進みません。
でもいつかは、書かなければならないと思っています。
夫を看取った経験者としてだけでなく、自分の最期の時のためにも、思うことを書いておくべきと考えています。

訪問診療所のこと。
ターミナルケアをしている訪問診療所は地方には少なくて、患者と家族の考えと診療所の方針をすり合わせることなどできない。
そもそも「選ぶ」診療所がないのです。
残された短い時間の中では、妥協しかなかった・・・
・・・良くしていただきました。助けがなかったらとてもできない在宅の看取りでした。
けれど、後悔の波荒く。

思い出が辛い3週間です。
元気にしていますが、それなりに落ち込むこともありまして。偶には未亡人らしく。


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2017
10.06

きょうの楽しみ

連日何の関連もない書き込みが続いています。我ながらあきれますが、今日もまた突然 「Queen」 です。
今朝 facebook で誰かが「いいね!」をしていて動画が流れてきました 「Barcelona」



しばらく聞いていなかったクイーン、きょう1日浸ってしまいました。




「We are the champions」 夫が好きでよく聞いていました。




私からは 「How Can I Go On」

ビートルズもいいけど、クイーンもね。
ポールもいいけど、フレディもね。


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2017
10.05

新薬開発

Category: 臨床試験
iPS細胞を使って病気の進行を食い止める薬が開発され、臨床試験が始まったというニュースを見ました。
iPS細胞が、病気のメカニズムを繰り返し調べたり実験するために役立ち、開発に繋がったということですね。

余命の短い病と知った時に夫は、治療効果の少ない抗がん剤投与を受けるかどうか迷いました。
結果的に8回もの抗がん剤投与を受けましたが、それは、「1日でも長く生きれば画期的な薬が開発されその恩恵を受けられる」という知り合いの医師の励ましを受け止めたからでした。

治療と治療の間には、新薬の臨床試験に参加しました。
参加前の説明から、初めから有効量の投薬がされるのではないことを知りました。
参加2番目だった夫は、有効量より少ないグループに入ることになりました。
それを知って私は、正直ガッカリしました。臨床試験だからと自分に言い聞かせてはいても、できれば有効量の投与を受けさせたいと思いました。
でもそれはいかんともしがたい順番だったのでした。

入院の連絡を待っていた時、大学病院から電話があり、試験開始が無期限で延長されたと告げられました。
ガッカリと安堵のような気持ちが行き交いました。

話は前後しますが、臨床試験参加の条件に、たしか、「余命3か月以上」の診断を主治医がする、という項目があったような気がします。
余命半年の病、その半年を迎えた夏のことだったので、診断書を書いてもらったときには、夫の命が冬まで保証されたと思い、密かに喜んだものでした。

延期からか9か月後、臨床試験が再開されたのでご参加願えませんか、という大学病院からの電話を受けました。
その時は抗がん剤投与の予定があったし、病態が以前より進行しているということを言って、参加を見送りました。
亡くなる5か月前でした。


夫はずっと臨床試験に積極的でした。
最初の一人に誰かがならないと臨床試験は始まらないと言っていました。
自己を犠牲にした多くの方のおかげで開発される薬。きょうも私は2錠飲ませていただきました。


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寒くなって、ようやく赤くなった 
オキナワスズメウリ


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