2018
06.21

スマホで特急券

Category: そのほか
一昨日駅の窓口で切符を買いましたが、乗車券と新幹線の自由席を買っただけです。
行きは何人かで待ち合わせて並ぶし、始発だからなんとかなると踏んでいます。
二日前の今日、ちゃんとスケジュールを押えておこうと帰りの列車を調べたのですが、以前「えきねっと」の会員登録をしていたことを思い出しました。
駅に行かなくても特急券・指定券が取れたんだわ、たぶん。
登録しただけできょうまで使う機会がなかった「えきねっと」、練習のチャンスだったのに。

叔母の住む街の駅は電車の本数が少ないから、新幹線に乗り継げる選択肢は2本だけ。これより早くも遅くもできない。乗換は4回。1本乗り遅れたら、帰りがとても遅くなる。
でも、アプリの乗換案内は便利です。乗り継ぎ候補を表示してくれるので、選んでデータを写真で保存します。
最後の列車が特急「ときわ」全席指定。さあ、これを「えきねっと」で買うことにします。
でもきょうはまだ買いません。2通りのどちらに乗れるか分からないからです。
乗れた新幹線の中で、スマホからログインして買います。上手くいくことを願って。

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こぼれ種から発芽した オキナワスズメウリ
駅員の手によって発券してもらったほうが安心だけれど、初めがなければ経験の始まりはない訳で。旅の一部として楽しみますか。

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2018
06.20

人の手・目

Category: そのほか
今回の地震のあと、「復旧大幅遅れ」などの見出しで新聞は鉄道の運転再開までに時間がかかったと書いています。
それを取り上げたラジオのコメンテーターが、
「時間がかかるのは仕方のないこと。線路の安全点検は作業員が歩いて全線を見て回るんだそうですよ」
と語っていました。
歩いて人の目で確認して回るのですから時間がかかります。

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同じようなことはガスの供給でも行います。
1978年の宮城県沖地震の時、私たちは福島県に住んでいました。100キロ弱の距離で、相当揺れましたが被害はありませんでした。
地震から何日かして、夫を含む社員10人ぐらいが応援の要請を受けて、仙台市に向かいました。家庭へのガスの供給再開へ向けて、1軒1軒をしらみつぶしに回るためです。
これだってあってはならないことですが、もし水道だったら、水漏れで分かるし、人命に関わることはそうはないはずです。
だけど、ガスは違います。漏れてはならないのです。
詳しくは夫に聞かないと分からないのですが、ガス管に圧をかけて異常がないかを確認して歩いたのでしょう。何日間か仙台まで通いました。

点検が済んで、仙台市にガスの供給が再開されたと聞いた時はみんなで喜び、達成感に浸ったのではないでしょうか。その日は慰労会だったような記憶があります。
機械だ、ロボットだといっても、最後はやはり人の手・目なのですね。

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2018
06.19

尼崎集会

今週末は2泊で尼崎に行きます。
1日目は「アスベスト被害の救済と根絶をめざす 尼崎集会」に参加します。“クボタショック”から13年。
私は初参加です。

日時:6月23日(土) 午後1時から4時45分
場所: 尼崎市中小企業センター(阪神尼崎駅近く)
参加費無料

初参加なので詳しくは分かりませんが、講演・報告・写真展などとチラシに書いてあります。終了後は、おそらく懇親会。
2日目は患者と家族の会総会。関東世話人になったので、こちらも初参加。
午後からと次の日のお昼までが予定なし。午後に叔母に会いに武庫川へ。夕方の新幹線で帰ります。

きょうは最寄駅に行って切符を求めてきました。
いつもは行き当たりばったりが多いのですが、今回は他の世話人と新幹線ホームで待ち合わせているから、予め往復の切符を用意しましたよ。
あまり用意周到だと、かえって何かハプニングが起きそうで心配なんですけど。

きっぷ

“クボタショック”のあとの2006年発行の『明日をください』を読んで知識を蓄えています。

アスベスト問題に取り組んできた人々を紹介したい。20数年前からアスベストに立ち向かってきた横須賀の労働者。アスベスト被害を掘り起し患者と家族のネットワークをひろげてきた「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」。そして、クボタ・ショックを引き出した人々の記録である。  写真・文 今井 明

夫が罹患するまで、全く他人事だったアスベストのこと。  
未だに分からないアスベスト問題の底しれぬ不気味さ。

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2018
06.18

イヤイヤ期

今朝の地震の震源に近いところに友が住んでいます。
少し時間が経ってからお見舞いと消息を確認するメールを出しました。
家族全員無事で、飾っていた小物が何個か落ちたくらいだと返信があって、ホッとしました。阪神・淡路の震災の時は、足の踏み場もないほどいろいろなものが壊れて散乱しているというメールをもらったものでした。
神戸の叔母は頑丈な施設でヘルパーさんに守られているので心配はないのですが、びっくりしたことでしょう。
今週末私は尼崎出張です。叔母に会ってから帰ろうと思っています。

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ドクダミの第2弾
梅雨空に しっとり映えるのは 
アジサイだけではないですよ

さて、今日の新聞、「イヤイヤ期 どう考える?」
「2歳児のイヤイヤ期をもっと子どもの気持ちに添った呼び方に変えませんか」という投稿をきっかけに多くの意見が寄せられたそうです。
最初の投稿の時、まさに2歳児のイヤイヤにつき合っている広島の娘にこの話題を振りましたが、
「イヤイヤ期の他に言いようがないよ。イヤイヤそのものだよ」

きょうの新聞を読んでまた話題にしました。
新しい呼び方は、「めばえ期」「自分で期」はどうかと書いてあったと教えました。
ちょうどその時に当の2歳児は、これといって何の理由もないのに食べてたおやつを投げ出して、
「やだやだやだ」
そこで娘は、これをイヤイヤ期と言わずしてなんという、と苦笑いです。
なんと言葉を置き換えようと、2歳児の「やだやだ」に勝てる親はいないんじゃないでしょうか。

「このやだやだが早く終わって欲しい・・・」ため息とともにSkypeを終えたのでした。

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2018
06.17

ピア・サポート講座

ピア・サポート講座、北海道の北星学園教授・大島寿美子先生の講義を受けました。
ピアサポートとは(資料から)、

当事者が互いに支え合いながら、それぞれが自分なりのやり方で問題に対処していく力をつけること

そして成長していくこと。
 ・体験したからこそ分かり合える共感。
 ・体験を通して得た情報や対処の仕方や知識。
 ・互いに支援し合う関係。
 ・同じ体験をしたひとの言動をみて手本にしたり、自分が手本になる。
活動の中心は、「話すことと聞くこと」。
話すことで、
 ・思いを外に出す
 ・気持を整理する 
 ・経験を解釈し直す
<話すことは「放す」こと>
聞くことで、
 ・相手との共通点に共感する
 ・違いや多様性に気づく
 ・新たな知識を見出す
<聞くことは「放されたこと」を受け止めること>
と私はメモしました。

ピア・サポートにはコミュニケーション能力が問われます。
 ・人を「尊重」すること。自分も相手も尊重しながら率直に表現する。
 ・「私」メッセージで話す。こう聞いたではなく、こう思う。
 ・心をこめて聞く。
 ・人が持つ力を信じる。
「自分を語る」ために、体験を文章に起こすことが二日目の課題でした。
夫の闘病の記録を時系列に沿って、その時の気持ちを加えながら、原稿用紙3000字。
先生の添削を受けた後、みんなの前で読みました。
受講者6名、みなさんとても素晴らしい発表です。
「すばらしい。よく書けてますよ」と先生は肩を抱いてくださいました。


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2018
06.16

こむらがえり

昨日はピア・サポート講座が終わってから少し用事があって、21時半の高速バスに乗りました。
用事が終わってホッとしたので気が緩みウトウト。目覚めたら窓に雨の滴が流れていました。嫌だなぁ、駐輪場に自転車を預けてあるから乗って帰らなくちゃならないもの。
バス停に降りたら結構な雨降り。時間は23時、娘はとっくに寝ている時間。タクシーはもちろん1台もない。
覚悟を決めてこぎだしたけれど、寒いこと、雨の冷たいこと。

びしょ濡れで家について、お風呂に湯を張る時間も待てずに、ヒーターをつけました。
お茶を飲んで暖まっているうちに眠くなってしまったのでお布団に入りました。
何時頃だったのか、ちょっと眠りが浅くなったとき、寝返りを打とうと足を動かしたら、足がビーンと突っ張って、こむらがえりでしょうか。
起き上がって足をさすったり伸ばしたりしたけれど、こわばりは取れなくて痛みが増すばかり。
あまりの痛さに冷や汗が流れて、吐き気までしてきました。
座っていることができず横になり、自然に膝を立てた姿勢を取りました。その姿勢のまま足首を動かしたり、ふくらはぎをさすったりしていたら、ようやくこわばりがなくなりました。
こんな痛みは初めてです。どうなることかと思いました。まさかこむらがえりで救急車を呼ぶわけにはいかないでしょう。

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きょうの気温の低いこと。ヒーターをつけたり消したりです。足を冷やさないように気を付けていました。
ふくらはぎに軽い痛みが残っていますが、今夜はしっかりお布団をかけて寝ることにします。お昼寝を充分にしたので体調は悪くありません。
きょうはピア・サポートのことを書くつもりでしたが、びっくりしたこむらがえりのことになっちゃいました。
ピア・サポートの感想は明日書きます。

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2018
06.14

ピア・サポート講座

今回の上京はピア・サポート講座を受講することが目的です。
講師は、患者会とも長い付き合いのある、北星学園教授・大島寿美子先生です。

出席者の自己紹介のあと、いきなりテストから始まりました。ひえー、聞いてないわ、などざわざわの中、真剣に回答。
○✕式でしたが、どうして○と思ったかなど、考えを述べることのほうが目的のようです。
一人一人の考えを否定することなく導き出し、肉付けする。さすがの手法に唸りました。

明日の講座の目的は
がん患者・体験者や家族が、自分の体験を整理し、人に伝える方法を学ぶ

原稿用紙4~5枚にまとめ、語りとして発表するために、体験を時系列にまとめる宿題が出されました。
ああ、それなのにおっちょこちょいの私は、同宿者と食事に行った帰りに、エントランスの自販機でビールなんか買ってしまって、酔ってます。
明朝はどうせ早く目覚めるのだから、追い詰められた子どもみたいに、朝に宿題をこなすことにして、こんやも早寝をすることにします。

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2018
06.13

早寝です

「きょう行く」も度々だとちょっとお疲れぎみ。
娘には「いい加減に断る勇気もね」と叱られてるんです。
今月はずうっと週末に東京出張が続いています。来週は尼崎です。

必要とされていることはいいことだと、明日も早朝に家を出ます。
寝るにはいささか早いけれど、目がショボショボしてきたので、お布団に入るとします。
たぶん、いえきっと、数分で寝つくと思います。寝るのが特技です。
PC持って出かけます。それでは明日は東京で。

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2018
06.12

狩野川台風

Category: そのほか
父との思いでを続けて書けるほどたくさんはなくて、考えてみれば淋しい子ども時代だったのね。それとも文にする力が足りないのか。後者だと思いたいですね。

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父は登場しないのですが、子ども時代の出来事5に入るのは、台風で被災した思い出です。
昭和33年9月の台風22号(狩野川台風)です。
夜になって水が堤防からあふれ出したという近所の人の声で、母は避難の準備を始めましたが、姉が怖がってしがみつくのではかどらなかったのでしょう。中2の兄と小3の私を先に外へ出しました。
田んぼなのか道なのか分からなくなった道を二人でしっかり手をつないで、近所の大人の後について中学校に避難しました。
父はいませんでした。組合の仕事で福島市へ出張中だったようです。

私たち子どもは、誰が持ってきたのか、トランプなどして最初のうちははしゃいでいましたが、真夜中、流出した木材がゴーンゴーンと校舎にぶつかる音が不気味で、だんだん静かになりました

翌日家に戻ると、奇跡的に家は床下浸水で難を逃れていました。
その日の夕方になってからだったでしょうか、父が帰ってきました。
道路も鉄道も遮断されて孤立状態になっていた町に、父は、濁流が流れる川に架かる鉄橋を歩いて渡って来たのでした。
のちにそのことを知って、父を見直したものでした。

土手を越えて水が流れてくる光景と、木材が校舎にぶつかる音、傷口を開けたような決壊した土手など、恐ろしい思い出の狩野川台風の話でした。

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2018
06.11

父の思いで

父は私が小学校高学年のころの2年間(3年かも)、町内の山間にある学校に単身赴任をしていました。生涯1教員で通した父でしたが、この時だけ教頭という中間管理職の経験をしたようです。
「○○町立大倉小中学校」という僻地校です。
組合専従からの復帰のための腕ならしだったのかしらと思いますが、わかりません。

父の赴任地へ夏休みのある日、一人でバスに乗って行ったのです。乗り換えて2時間以上はかかったのではないかと思います。
終点まで乗って着いた山の中は、田舎育ちの私でさえ、さらに驚く田舎でした。
近所の子どもが珍しそうに遠巻きに私を見ます。興味津々話しかけてきます。
「教頭先生の娘さんだ、遊んでやれ」と下宿先の郵便局のおばさんが言い、そこいらを散歩しました。
よく覚えていないのですが、中の一人の子が、ある子を指さして、
「あいつは、ザルをかぶって粗末にしたから、頭が小さくなったんだ」
といったのが忘れられません。初めて迷信めいたことを聞いたので記憶に残っています。

夕飯に何を御馳走になったのかは記憶にないのですが、お味噌汁の具にびっくりしたのが忘れられません。
大きく切ったジャガイモとインゲン、それに何か見たことのないものが入っていました。私はきっとまじまじと見ていたんでしょう、おばさんが、
「町の人にはなんだか分んねえべ。かぼちゃの茎だ」
そうです、町では食べたことがありません。味は忘れました。そういえば少しトゲトゲしていたかもしれません。

翌日、父と山歩きをしました。
植物採集用の胴乱を肩から下げて、誇らしい気持ちで父の後をついて歩きました。
オニユリがそこここに咲いていました。強烈な匂いと鮮やかなオレンジに魅かれました。
夏休みの宿題にした標本は、父に教えられながら丁寧に仕上げました。

オニユリ
オニユリ  (フリー写真拝借)

この時の大倉での二日間は子ども心に強烈でした。その時は分からなかったのですが、大きくなって思うと、地域の格差、貧しさを肌で感じたのだと思います。身なりや食べ物の違い、生活環境の違いなど、子どもの私には言葉にできなかったことだったのです。


父は小さいことに拘らない人で、夫と気が合い、誘いあって飲みに行ったものです。
愉しい計画がたくさんあったのに、あっけなく60歳で逝ってしまったのが残念でたまりません。


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