2016
08.30

悲しみ

今朝の新聞、本の広告に『人はいくつになっても、美しい』(ダフネ・セルフ)が載ってました。
イギリスの87歳のスーパーモデルだそうです。
「美しい」はどうでもいいんです。彼女の言葉がいくつか書かれていて、その中の一つに目が止まったのです。

悲しみは乗り越えるものではなく、寄り添い付き合っていくもの



夫が闘病中、喪ってしまった後の自分を思ったことがあります。
生きていけないとまでは思わなかったけれど、この人のいない生活なんか考えられない。
この人と共に老いていくことだけを考えていたのに、どうして暮らしていけようか。

でも実際はこうです。
亡くなった後2か月半、娘と孫が一緒に暮らしてくれました。
いろいろな手続きに追われたり、人の訪れもありました。
そんなことで気が紛れていたのか、悲しみに立ちすくむというようなこともなく暮らすことができました。

1月中旬、娘たちが帰って本当に一人の生活が始まったとき、今度こそ悲しみの淵に沈んでしまうのかと考えました。
けれど、そうではない毎日が繰り返えされました。
とても不思議でした。

話が変わって。
何10年も前若くしてご主人を亡くした友人が、私にこう言ったのです。
「どん底を見て、そこから立ち上がった時にいらっしゃい」
彼女が私をどんなに心配しているか、疑う余地のないこととはっきり分かっています。
彼女に少し甘えたい、会いに行きたいと思っていた私は、寄りかかろうとした肩を引かれたように思いました。
けれど、甘えた考えの私がいけないのだろうと自分を納得させました。

そしてそれから半年、私は相変わらず悲しみの淵を知らずに過ごしています。
自分の心が読めない不思議な感情です。
悲しくないのか、悔しくないのか、泣きわめいたり、気力を失くしたりしないのか・・・
・・・しないのです。


s-台風一過
・・・・・・

そしてきょう、本の広告にたどり着くというわけです。

乗り越えなくたっていいんだ。
悲しみの淵に沈むこともないのだ。

悲しみを悲しむことが、
少しできるようになってきたと思っていたところです。



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コメント
正直な気持ちに触れたような気がします。
悲しみなんか乗り越えられないし・・どん底なんかあるわけない。這い上がることなんか出来るわけも無い。

悲しみも寂しい気持ちも底なし沼・・

そう いまは夫が好きだった音楽を聴きながら
悲しみに寄り添って生きています。

これからわすれ草さん さまざまな不思議な自分の感情に
出逢っていくでしょう・・ 寄り添って生きて行きましょう。

ずーっと読ませて頂いてます。 初コメですね。
よろしくお願いしますね。
六花dot 2016.08.31 13:22 | 編集
 ☆六花さん、初めまして。
私こそどうぞよろしくお願いします。

人それぞれの悲しみがあると承知しながら、泣かない自分が理解できなくて。
嘆きの大きさ、流す涙の量で悲しみを計れないと承知していても、あっさり暮らしている自分が信じられなくて。

モヤモヤとした気持ちを抱えて暮らしていましたが、六花さんのブログに出会って、少しずつ気持ちが解けていくように感じています。
丁寧に暮らしていらっしゃる、えぞをさんと。
そう思いました。

更新を楽しみにしています。ありがとうございました。
わすれ草dot 2016.08.31 17:20 | 編集
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