2017
02.12

家族会での昔話

昭和24年生まれの私ですが、私より若い方たちには、全く違う世界のような話かもしれません。
昨日の家族会の時に話題にして、私の記憶が間違いではなかったことが分かったので書いてみます。

昨日集まった遺族は私を入れて7人でした。そのうちの3人が同い年だと分かりました。それから3人が福島県出身、山形・秋田と東北出身が5人いました。
そこで上京した時の話になって、私がみんなにこう聞いたのです。

「私の周りではそんな記憶はない。戦後23年経ってるのに、そんなことあるわけないとずっと否定されてきたけれど。昭和43年に上京した時に、住民票と一緒に米穀通帳をを持って区役所に行った記憶があるのよ。思い違いかなぁ」
すると、
「そうそう、そうだったよ。それがないとお米が買えないということはなかったけど、住民票の移動の時はセットだったよ」
「実家が農家だったから米穀通帳を持ってなかったんだけど、その時に作ったよ」
「寮に入るときに、米穀通帳と一緒に、お米も提供させられた記憶があるよ」
いろいろ出てきました。
中学の修学旅行の時、お米を袋に入れて持って行って旅館に出したとか、信じられますか?
たぶん、私たち昭和24年組が最後かもしれないと思いましたが。ほんとうにそんなことがあったのです。

それから、修学旅行専用列車「きぼう」「ひので」の話など、手もしっかり動かしながら、同年代の者たちが喜ぶ話で盛り上がる楽しい集まりでした。
「ここにねぇ、お父さんたちがいたら、もっと盛り上がったのにね」
みんなに共通する思いでした。


s-P_20170205_081241.jpg先日新聞に載った環境再生機構の「石綿健康被害救済制度」の広告です。
藤本義一さんも中皮腫で亡くなっています。スティーブ・マックイーンも同じ病です。

昨夏の石綿健康被害救済小委員会を多くの患者・家族が傍聴しましたが、再生機構のこの広告に貢献できたのだとすれば嬉しいことです。



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コメント
「米穀通帳」のことをよく思いだしてかいてくれました。

ありがとう。

小学生のころ、私の弟と子どもだけで「配給所」に通帳をもってゆきお米を買いにゆきました。

意地悪なおじさんがいて、子どもだからと邪険にされました。

「米穀通帳」といったんですね。

名前をようやく思いだしました。

懐かしいです。



kmomotadot 2017.02.13 08:53 | 編集
 ☆kmomotaさん、おはようございます。

今kmomotaさんのコメントを読んでから、私の記憶間違ってなかったかしらと遅まきながらWikipediaを読みました。
正式には「米穀配給通帳」というのだそうです。
昭和44年4月から自主流通米制度が発足したので、私たちはやっぱり米穀通帳を持って転入手続きをした最後だったのでしょう。
ひとつ年下の夫は知らないと言っていましたからね。

米穀通帳の思い出、kmomotaさんありがとうございます。
わすれ草dot 2017.02.13 09:37 | 編集
(藤本義一さんも中皮腫で亡くなっています。スティーブ・マックイーンも同じ病です。)これって日常の生活でもって事でしょうか? 子ども時代も結婚してからもストーブでしたから
煙突が外へ出て行く穴に煙突を通したら石綿を詰めていました
父と えぞをもそうしていました。
本当に聞くだけで 腹が立ちます。 ご本人やご家族の
無念の思いはいかばかりかと。
恰度一回り下なんですね。それで・・六花は悲しんでばかり居てスミマセン。
六花dot 2017.02.13 12:03 | 編集
 ☆六花さん、こんにちは。

そうなのです、日常でも、誰にでもです。
義一さんは、阪神・淡路大震災の後片付けのボランティアでかもしれないとか、音楽スタジオの防音壁などかも知れないとか、特定はされていないようです。
マックイーンは、レースの時に着た防炎服かもしれないとか、やはり撮影スタジオかもしれないと言われているようです。

同じ空気を吸っても発病する、しないのメカニズムは不明なのです。
ほんの数か月工事現場でアルバイトした人も発病して亡くなっています。

私たち、みんな石綿って身近にありました。
豆炭アンカに敷いてあったり、そう、煙突の断熱とか、理科の実験でも石綿の網を使いました。


六花さん、悲しみは歳に関係ありません。スミマセンは無しね。
わすれ草dot 2017.02.13 15:08 | 編集
こんばんは~(∩.∩)

私は35年生まれですが、家の台所の土間の、黒い柱には、米穀通帳と、大福帳というのがぶら下がっっていました。

藤本義一さんて、中皮腫で亡くなられたのですね。

それはそうと、大阪府内に泉佐野市というところがあります。
そこには、レンガ作りの石綿工場があって、子どもころ、その工場の路地を通ると、ふわふわとした、綿帽子のようなものが舞っていました。
あれが、アスベストだったのでしょうか。
dot 2017.02.13 20:02 | 編集
こんばんわ。

わ~い、同級生だもんね。
嫁に来る時、親から渡されて持ってきました。(私の分)

それに、配給の?米屋さんも決まっていて、
この町内は(このお店)ってね。
(混ぜ物)するお店も有って、、この割り当ての米屋さんは不味かった~!

私も、わすれ草さんと出会うまで(中皮腫)なる物を知りませんでした。
我が家の(豆炭炬燵)の火桶にも石綿が使って有りますね。
昔、勤務していた建築会社で(〇〇アスベスト)という会社を建築しましたよ。
あの会社は、そういう物を(作って?)いたのだろうか。。
販売していたんだろうか。。。
アイハートdot 2017.02.13 20:24 | 編集
 ☆窓さん、こんばんは。

あら~、米穀通帳ご存知、私より10歳もお若いのに。

間違いなくアスベストだと思います。
大阪は、尼崎のクボタ、泉南、阪南、岸和田にアスベスト紡織工場があって、働いていた人だけでなく近隣に住んでいた人も被害にあって苦しんでいます。
堺にもゴロス再生工場があって被害者がいます。
私の知っている知識はこの程度ですが、もっと多くのかたが被害にあっていると思います。
わすれ草dot 2017.02.13 20:41 | 編集
 ☆アイハートさん、こんばんは。

わ~い、同級生だけど、私嫁になる時は通帳持って行かなかったよ。そして私、ここから小声で(家のことなんにもしてなかったから知らなかった)。お米屋さんのこととか。

「〇〇アスベスト」社名にアスベストを背負ってる?
アスベスト製品の販売でしょうね。
スレート瓦とかスレート板の建築資材なんかかもしれないね。

豆炭あんか、昔のは、完全に石綿だったそうですよ。
体育館地下倉庫の壁に吹き付けてあったのもアスベスト。
身近にたくさんあったんだそうです。
わすれ草dot 2017.02.13 20:52 | 編集
米穀通帳、母親から聞いた事がありますが
どんなものか良く知らず、でも懐かしい

それよりも「きぼう号」
神戸の修学旅行は皆、きぼう号で東京でした。
東京タワーに国会議事堂にとお決まりのコース
今でも中学同窓会で集まった時、話してますよ
皆良く覚えてて「オマエ、あの時行ったやないか」って言われてます。
僕のすぐ後で終わったのかな
きぼう、懐かしい響きでしたよ
メタさんdot 2017.02.13 22:06 | 編集
 ☆メタさん、こんばんは。

きぼう号でしたか。
私の高校の修学旅行は南相馬から急行で東京へ。
東京からは開業3年目の新幹線こだまで名古屋へ。
二見が浦に1泊。奈良に1泊。京都に2泊。
そして帰りはきぼう号で京都から熱海へ、強羅で1泊。
どう? 豪勢でしょ。当時としてはなかなかのものでしたよ。

よその学校の生徒と接触しないように先生がデッキ付近の席に陣取ってたよ。
なつかしいわ~
わすれ草dot 2017.02.13 22:24 | 編集
こんばんは。
米穀通帳は母が言っているのを覚えています。配給とかも。
でも自分の目では見たことがありません。
昭和23年生まれですが。

アスベスト紡織工場、知っていますよ。
路地を歩くと、ふわふわと飛んでいましたし、
工場の窓が、綿くずで真っ白でした。
あの中で働いていた方々は、間違いなく肺も真っ白(;;)

風のフェリシアdot 2017.02.13 22:53 | 編集
 ☆風のフェリシアさん、おはようございます。

アスベスト紡織工場が身近にあったのですか。
ふわふわ飛んでいた、みなさんそう言います。
工場で働いてなくても、近隣に住んでいただけでもアスベスト関連疾患を発症した方が大勢おられます。
尼崎のクボタみたいにです。

おどすようで気がひけますが、アスベスト関連疾患、頭の隅に置いておいてください。
わすれ草dot 2017.02.14 10:33 | 編集
1950年生まれです。
米穀通帳ありましたね。
その米屋さんに
一升瓶を抱えて、
父親の飲む、二級酒を1合・2合と買いに行きました。
そういえば
醤油もそんな買い方でしたね。
商売人は、日銭生活でしたから。

姉(1947年生まれ)の時は、修学旅行に米を持って行きました。
私の時はもう無かったのですが。
晴釣雨読時々電脳dot 2017.02.14 15:01 | 編集
 ☆晴釣雨読時々電脳さん、こんにちは。

お酒も醤油もそうでしたかね。
菜種油もそんなふうに買っていた記憶が蘇りました。

夫も1950年生まれです。
戦前生まれはそうだったのかと、いつもからかわれていました。戦前って、朝鮮戦争のことですよ、まったく。

たぶん私たちが米穀通帳を持って移動する最後の年だったのではないでしょうか。
修学旅行とお米、高校はさすがに持って行かなかったけれど、中学の時は東京の旅館で集められた記憶がはっきりあります。
わすれ草dot 2017.02.14 15:36 | 編集
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