2017
02.27

死の理由

Category:
昨日書いた娘が遭遇したあわや、の事故。
こんな幸運もあれば、一瞬の不幸もある、それを分けるのは偶然でしかないのでしょうね。

娘と孫は偶然の奇跡をかいくぐりましたが、もしかして死んでいたやも知れず。
後部座席で寝ていた孫は、何が起きたのか分からないまま命を落としたかもしれません。
そうだったとしたら、いったい私はどうすればよいのか。
佐野洋子さんじゃないけれど、神も仏もありませぬ。
私から二人を奪わないでくれたこと、不信心な私でさえ、何かに感謝する気持ちになりました。

話は変って、天国、極楽、死んであの世があるとすれば、そこから見守ってくれる愛する人が、人には誰にもいると思うのです。
それでも理不尽なことで命を落とす人が世の中にはたくさんいます。
夫が不治の病を宣告され、余命半年と聞いたあとです。
空爆で犠牲になった子どもたちのニュースを見たときに、夫はこういいました。
「あの子たちは、自分がどうして死ななければならないのかも分からず、自分が死んだことさえ分からないんだ。それに引き比べれば、俺は理由もわかるし、準備もできる」

いつもオチャラケだった夫の、こんな重い言葉をきょうは思い出しています。


*..・..*..・..*..・..*..・..*..・..*..・..*..・..*..・..*..・..*..


s-IMG_1417.jpg

メインストリートから2ブロックほど外れた道です。
看板にはスコットランド教会とありました。


s-IMG_1419.jpg

日曜日。
信者を迎える牧師さまでしょうか。
キルトの老人とご挨拶。





トラックバックURL
https://waremo5.blog.fc2.com/tb.php/790-2e6db9a2
トラックバック
コメント
「大きな力」が働いたのだと私は思います。
亡くなった人は、守らなければならない大切な人に寄り添っている、と思うのです。
それは亡くなった人を、何時も心の中に忘れずに思っている人にだけ通じるものでは?とも思うのですが。如何でしょうか?
pirokodot 2017.02.28 10:52 | 編集
 ☆pirokoさん、こんにちは。

守られていたと私も思いました。
それほど危ない事故に巻き込まれるところだったようです。
そういうのをくぐり抜けてきたことは、やはり「大きな力」を発揮してくれた人が私たちのそばに寄り添っていてくれているんだと思いました。
私にこれ以上深い悲しみを与えまいとして踏ん張ってくれた人に、ありがとうと伝えたいです。
わすれ草dot 2017.02.28 12:39 | 編集
>それに引き比べれば、俺は理由もわかるし、準備もできる。

わすれ草さんのご主人のこのお言葉、私もきっとそう思うと思います。

治療の苦しさや病のための痛みやそういうものを全部ちょっと横に置いておいて、ただ「死」と向き合うことだけを考えたとき、やっぱり余命がわかっての死って、準備と覚悟ができるし、納得がいく気がします。
戦争で虐殺される子どもを思えばね。

ただ、時間があるだけに、こころの強さも必要かな。
こころの支えとね。

風のフェリシアdot 2017.02.28 22:39 | 編集
 ☆風のフェリシアさん、こんばんは。

死ぬなら癌がいい、そう思います。
死への準備ができるほど強いかどうか、はなはだ疑問ですけど。

親しい友を二人癌でうしなっています。
みごとな準備でした。
友に笑われない生き方をしなければと思います。
いつも緊張していられない凡人ですが、その時は、友にも夫にもほめて欲しいと思っています。
わすれ草dot 2017.02.28 23:18 | 編集
このコメントは管理人のみ閲覧できます
dot 2017.03.01 10:54 | 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top