2018
02.22

役に立たない

Category: 懐かし話
明け方降り出したらしい雪が、ほぼ一日中降っていました。
地表温度はそれほど低くなかったからでしょう、積もることはなかったけれど、時折強く降った時間もありました。
こんな日は(こんな日でなくても)外へ出ることなく、編み物と読書、ちょっとピアノ。
なんて優雅で退屈なんだろうと笑ってしまいます。

編み物は相変わらず、編んでは解きを繰り返しています。
もう何年も編み針を持ってなかったからすっかり忘れてしまって、初心者用の本を引っ張り出しました。
迷っていたえりぐりの減らし目はやはり間違っていました。
他のことにはグズグズ迷うくせに、編み物に関しては潔く決断します。エイッとほどきました。人生もこんなふうに決断できたら良いのにね。

編み物の本を探していて、懐かしい本を見つけました。商業簿記3級の問題集です。
点字を始める前だから40代半ばごろ、簿記を習ったのです。
県立商業高校で、夏休みの土曜日の7.8回を市民に開放して、入門からの講義がありました。
勤め人の若い人に混じって、おばさん頑張りました。
講義終了証書をもらって終わりかと思いきや、せっかくなんだから秋にある試験を受けてみなさいと申し渡されました。

あんなに勉強したことは人生で初めてで最後だったわ。
試験開始、武者震いとともに頭の中は真っ白。それなのに、なんの間違いか合格できたのです。
けれど合格証書と問題集が残っているだけで、何の役にも立ってません。
ただそれだけの話です。この頃、懐かしい話ばかりが続きますね。

s-IMGP5284.jpg
3,4日前の暖かい日 駐車場で日向ぼっこしてたバッタ?
暖かいといっても 冬
雪のきょうは どこにいるのか心配してます


Comment:6  Trackback:0
2018
02.21

恥ずかしい話

Category: 懐かし話
昔話ばっかりで恐縮ですが、訪れたブログに、久能山東照宮などにお出かけの写真をアップされていた方がいらっしゃったので、思い出が蘇りました。

私の人生の汚点なのであまり思い出したくないのですが、半世紀も過ぎると良い思い出だけが残されるのか、昔のような胸の疼きは起こらなくて、こんなふうに書いてみようかなんて思うまでになりました。
汚点って? それは入社半年で会社を辞めてしまったことです。
はい、コネで入りました大手の旅行会社です。
田舎育ちの私には同期入社のみんながまぶし過ぎ、先輩方の洗練された身のこなしにも圧倒されて。
18歳、初めての一人暮らしに負けました。

久能山と何が結びつくって?
研修所での新入社員教育が1か月ちょっとあったでしょうか、その最後の仕上げに行ったのが久能山東照宮。
石垣イチゴ、富士山、熱海のホテルでの舟盛りのおもてなし(なにせ、旅行社ですから)。
懐かしい写真もあったはずなのに、若かった私は忘れてしまいたくて捨ててしまったのか、もう手元にはありません。

親切にしてくれたお友だちもいたというのに・・・ああ、思い出した、森恵子さんといったわ。この方にも会いたいなあ。
佐渡出身のまだ坊主頭だった藤原君に引きとめられたのに。送別会の幹事を結局やってくれた。会ってみたいな。

チャコールグレイのキリリとした制服のスーツが誇らしい、本社内営業所勤務と身に過ぎた勤め先でした。
恥ずかしい思い出なのに、懐かしい・・・


Comment:2  Trackback:0
2018
02.20

貧しい子ども時代 2

Category: 懐かし話
1週間前に貧しい子ども時代の話を書きました。
もう一人気になる人がいるんです。
小さな田舎の小学校でしたが、川を渡ってしばらく山のほうへ行くと分校がありました。
そんなに遠くはなかったのになぜ分校があったのでしょう。
分校が廃止になって、本校に来ることになったうちの一人に、子ども心にも貧しさを感じる女の子がいました。
三つ編みにしていたと思いますが、ほどいて編みなおしてきたのかどうか、という髪をしていたように思います。

名前は私と同じまりちゃん。
6年生の女性の担任は、「同じ名前だし、面倒をみてやってね」と机を並べました。
まりちゃんはたぶん、シラミがいたんだと思います。
ある日、担任はDDTの噴霧器を持ってきました。
まりちゃんだけだと差別みたいだからと、女の子みんなが白くなりました。

△△くんがまりちゃんをからかって、まりちゃんはすごい勢いで怒って外へ飛び出して行ったことがありました。
私と数人が後を追おうとした時に担任は、
「△△くん、あなたが行って連れ戻しなさい」
△△くんは素直に追いかけました。2時間ぐらい経った頃でしょうか。まりちゃんは△△くんと一緒に戻ってきました。

それだけが強烈に覚えているまりちゃんに関する出来事です。
まりちゃんも同じ中学には行きませんでした。その後のことは噂にも聞きません。

尋ね人を探してくれる番組がありましたよね。
まりちゃんのほかに、たかちゃんも探してくれないかなあ。


Comment:8  Trackback:0
2018
02.12

貧しい子ども時代

Category: 懐かし話
ブログ『海見えて』を書いていらっしゃる遠音さんが、11日に「友よ生きていますか?」を書かれ、きょうは「生きのびることを学ぶ」を書いてらっしゃいます。
遠音さんは開催中の冬季オリンピックを見ながら、北に渡ったかつての同級生を想い涙を流していると書かれています。

私にも朝鮮籍の友だちがいました。もしかしたら、おかあさんは日本人だったかもしれません。
色が白く物静かで可愛いスカートをはいていました。絵を描くのがとても上手で、ノートの裏のほうのページに可愛らしい女の子の漫画を描いてもらいました。
小学校5年生ごろです。成本久子ちゃんが朝鮮籍だなんて知りませんでした。
「ボロ買い」と言って揶揄されるのを耳にしても、私には何のことか分かりませんでした。
私が成本さんの家に遊びに行くととても喜んでくれました。
6年生のいつ頃の季節だったでしょう。1961年です。成本さんの姿が見えなくなったのです。
一緒に中学に行くとばかり思っていたのに、黙って転校したのかと寂しく思いました。

長じてから私は、成本さんは帰還船に乗ったのではないかと思いました。噂でお母さんと妹は日本にいると聞きました。
北朝鮮のことがニュースになると、成本さんはどうしているのだろう、寒くはないかしら、ひもじくはないかしらと思います。
私と同じようなお婆さんになって、幸せに暮らしていることを祈るばかりです。

そして遠音さんのきょうの「生きのびることを学ぶ」には、「しらみたかり」と「がんべたかり」のことを書いておられます。
我が地方ではおできが頭や首筋にできている子を「カサコ」と悪口を言ってからかっていました。
私は、一度も口にしたことはないですが、男の子たちがそう言って特定の子をからかっていたのは知っています。
体の小さい、頭が白い粉をふいたようになっている男の子でした。
栄誉状態が良くないので傷が治りきらなかったのでしょう。カサコの痕は、禿たようになっていました。
イジメに加わったことはないですが、かばったこともない傍観者でした。
親しくもない男の子だったので、その後の消息は知りませんでしたが、2011年、津波の犠牲者の中に彼の名前を見つけました。
トラコーマでただれた赤い目の顔が、脳裏に浮かびました。

こんな悲しい寂しい子ども時代があったことを、ちゃんと後世に伝え残していかなければならない。
今の繁栄が、初めからあったと思っているかもしれない子や孫に、どう話せば想像してもらえるだろう。
遠音さんはコメント欄を閉じてらっしゃるので、こんなことを思いましたとお伝えしたくて、書かせていただきました。


Comment:4  Trackback:0
2018
02.01

アリアーヌ巻き

Category: 懐かし話
前回の雪から10日。ようやく日陰の雪が消えました。
なのに、また雪が降るらしい。学校は10時登校と決まったようです。その時間に降っていたら休校だって。

故郷福島県の浜通り地方も滅多に大雪にはなりませんでした。けれど昭和62年ごろだったと思う、起きたら40cmを超える一面の雪。
今のようにメールによる連絡なんて無かったもの、行くしかなくて、子どもたちは2Kmの距離を雪かき分けて学校に行きました。
着いたら休校だったって帰って来ました。
「やったあ、休み」なんて喜んでる孫たち、余計な苦労をしなくていいのね。でもひ弱になっていくような気もする。

まあ、そう言う私だってぬくぬくした部屋で、更に暖房器をそばに置いているんだから何も言えません。
火鉢が暖房だった昔のことなんか忘れているものね。
忘れてない、嬉しい思いでは、父が買ってくれたアノラック。
田舎であの当時、他に誰も着ていなかったと思います。ライナー付きのフードのついたアノラック。

アリアーヌついでにもう一つ昔話、真知子巻。
中学生の頃かぎ針でショールを編んで、真知子巻にしていたのを思い出しました。
ヘップバーンみたいにスカーフの端を首に巻いて後ろで結んだりもしました。
どこからどう見たって、大根足の田舎娘だけど、背伸びしてたね、あの頃。

ヘップバーン様のネッカチーフ姿。何とお綺麗な。


Comment:8  Trackback:0
2016
12.22

10数年前のいたずら書き

Category: 懐かし話
きょうは寝るほどではないけれど少し不調でした。
夕方また37度前半の熱と、リンパか神経の痛みが出てきましたが、へいきです。

昼は暖房がいらないくらいの温かさ。
年末だもの、せめて気になっている一部だけでも片づけようと、ほとんど出し入れのない棚のものを引っ張り出しました。
点字の古い資料、昔作成した子供会の資料など、今まで取っておいた意味なんて全くない、早く捨てればよかったのに。
ポンポンと気持ちよく片付きました。
きょうは燃えるごみの日、そのままゴミ置き場へ直行。

あら、こんなものがというのが出てきましたよ。
10年以上前、家中で溺愛していたニャンの似顔絵です。

s-P_20161222_140204.jpg
彩椛ママがマウスで描きました。
ニャンの名前はスカーレット。夫が名づけました。

s-P_20161222_173818.jpg
こちらは夫が。
懐かしい2枚です。永久保存。

ジャムのビンに頭を突っ込んでビンを引きずっていた子ネコ。
獣医さんに抜いてもらって、我が家のアイドルになったのでした。
このアイドルにどれほど慰められたことか。


Comment:4  Trackback:0
2016
12.16

漏水の話

Category: 懐かし話
昨日、水回りの冬支度のことを書きながら思い出したのは、40年前のこと。
夫は死の病の原因となった仕事、建築設備配管業を営む父親の会社で働いていました。
その頃は会社の規模もさほど大きくなく、一般家庭の修理なども受けていました。

今より寒さが厳しかった昔、水道管の保温は藁縄やぼろきれなどを巻きつけて凌いでる家庭が多かったものです。
ですからちょっと寒い日が続くと、凍った水道管は融けないままさらに凍りつき、よく破裂したものです。
日中は職人が走り回りますが、夜職人が帰った後は夫の出番になります。
暮れも正月もありませんでしたが、手に負えないときはとりあえずキャップ止めして帰ってきたものです。
昔は井戸水のある家庭が多かったのでさほど文句も言われなかったのですが、申し訳ないことでした。

よく覚えているのは、配水本管の漏水です。
漏水当番というのがあって、市の仕事を請け負っている数社が回り番で暮れと正月を守っていました。
その当番日の正月二日の寒い夜でした。夫は昼から祝い酒。
連絡があった時にはかなり酔っていましたが、職人に電話をして、自分も支度をしました。
でも、酔っ払いに運転させるわけにはいきませんから、私が運転手です。

車のフロントガラスはガリガリに凍りついていて簡単には融けない。待っていられずに、融けかかった隙間から覗くようにして運転して現場に急ぎました。
漏水は凍結ではなかったと思いますが、大量の水が流れていましたから足元は泥んこ。
・・・酔いの冷めた夫が職人に送られて帰ったのは、朝方になってからでした。

運悪く当番の日の漏水は何度かあったと思います。
当番の日はお酒を控えればいいのに、運転手の私がいるのをいいことにしていたダメな夫です。今では許されないことですが、昔はこんなこともあったのでした。
甘やかしていた私が悪いのですが、これも今となっては懐かしい思い出。


s-P_20161216_131105.jpg

s-P_20161216_155730_HDR_201612161603426ed.jpg


  おうい雲よ
  ゆうゆうと
  馬鹿にのんきそうじゃないか

などと、昼間はちぎれ雲を見てたのに、夕方になってどんどん数を増して、冷たい風も吹いてきて。
こんな晩は、凍結で呼び出されたっけね。
明日朝の水戸は、-3℃の予報。



Comment:6  Trackback:0
2016
02.24

納豆ご飯

Category: 懐かし話
高校生の時は福島の田舎で電車通学をしていました。
真っ直ぐ家に帰らずによく友人の家に上がり込んだものです。
恋愛のこと、人生のこと、文学のことなど幼稚な意見をぶつけ合って、時の経つのを忘れたものです。
遅くなると泊ったりもしました。
家にはまだ電話がなく、親はなんと思っていたのでしょう、信じてくれていたんでしょうね。

友人の家庭はおかあちゃんが旅館の仲居をしていて、夕方から家を空けるのでした。
出る前におかあちゃんがかまどでご飯を炊いてくれました。
ある日、お腹を空かして帰った二人に、炊きたてのご飯を丼に盛ってくれて、おかずは納豆でした。
経木でくるんと3角に巻いてある納豆にネギを刻んで入れて、醤油をたらしただけの納豆ごはん。
そのおいしかったこと。
人生でいちばんおいしい夕飯だったと今でも思います。

今夜は何10年ぶりかのネギ入り納豆ご飯、炊きたて。
夫は生の刻みネギが嫌いなので、いつの間にか私も納豆にネギの食べ方をしなくなっていました。
50年前のおかあちゃんの納豆ご飯には及びませんが、おいしく食べました。



s-IMGP3820.jpg


s-IMGP3808.jpg

遺影わきの 今週の花は
黄色っぽく写ってしまいましたが 
アオモジ  
フリージアとスイトピーをあしらって 


Comment:8  Trackback:0
2015
06.14

遠足のお弁当

Category: 懐かし話

懐かしい話なら続けていけそうな老人のわすれ草です。

ふっと思い出したのが、小学校の遠足のおやつに欠かせなかったキャラメルのことです。
赤い箱の明治クリームキャラメル、黄色い箱の森永ミルクキャラメル。
赤箱と黄箱の中身を友だちと交換したりしましたね。
今でも時々食べたくなります。

遠足にバナナを持って行ったのはいつごろからか覚えていますか? 昭和20年代生まれの方限定の話題かもしれませんが。
私は小学校高学年だったような気がします。昭和36年ごろです。
戦前ソウル(京城)育ちの母は、台湾バナナをおやつにしていたそうですが、戦後バナナは高級な果物になってしまい、そして昭和30年代後半ころから庶民が食べられるようになったそうです。

それから遠足といえばゆで卵だったのは我が家だけ?
ゆで卵も特別な日のご馳走だったと思います。運動会のお昼にもありましたね。

運動会と言えば栗ごはん・・・
年寄の昔話が続きます。やめましょう、このへんで。


s-DSCF9299.jpg

東京へ遊びに行ってる間に
咲いていました 百合
黄色も 植えたんだっけ?



Comment:2  Trackback:0
2015
06.12

高校の音楽

Category: 懐かし話
昨日の続き。
あのころ聞いた音楽、書ききれないけど、忘れていけない、ABBAとカーペンターズ。
きょうは『BS世界のドキュメンタリー』 「永遠のABBA アグネッタの告白」を夫と一緒に見ました。
なつかしい、懐かしいと懐メロ見ている老人の私。
思春期の頃、懐メロ番組を見て一緒に歌っている老人(母)を受け入れられなかったけど、うん、老人になって初めてわかるこの懐かしさ。
歌も懐かしいけれど、流れていた時間が懐かしいのですね。


s-IMGP3449.jpg
ニワゼキショウ


音楽の話、懐かし関連で。
高校生になった時、芸術教科は音楽を選択しました(他は美術と書道)。
先生は教科書のほかに20枚くらいのプリントを持ってきました。
先生がポロロンとピアノで伴奏したのは「夜明けの歌」。
びっくりしましたね、高校ってこんなに自由なんだって。
その後も教科書はあんまり使わなかった記憶があります。
良かったんでしょうかね、カリキュラム的に。単位はもらえたんだから良かったんでしょうけど。
「夜明けの歌」のほかに覚えているのは、ドイツオペラやイタリア歌曲です。発音も意味もよく分からないで歌っていましたね。
タイトル通り昔々の話です。


Comment:4  Trackback:0
back-to-top