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2020
05.27

エンゼルパイ

Category: 懐かし話
会いたい人に会わせてくれるという番組を見たことがあるけれど、もし私にもそれができるとしたら、何人かの人に会いたいな。一人、二人、三人・・・
前に書いたことがある、丸の内のヘタレなOLだった時の同期生にいちばん会いたい。
そんなことを思ったのは「エンゼルパイ」を食べたから。

田舎者の私に優しくしてくれた恵子さん。前髪を眉あたりで切り揃えた色白で目がぱっちりした都会風の恵子さん。
彼女も私と同じで太いコネで入社できたって言ってたっけ。「私頭悪いから・・・」と細い指で髪をかき上げながら言ってたわ。今でもはっきりと顔を思い浮かべることができるのに、ショック、苗字が思い出せない。
恵子さんとお昼休みに、社内の売店でエンゼルパイを買って休憩室でお喋りしたり、和田倉門の公園まで行ったり。恵子さん、エンゼルパイが大好きでした。
楽しい話をいっぱいして、研修旅行も、社員旅行も一緒に楽しんだのに、ヘタレな私、どうして辞めてしまったんだろう。辞めなければ、なんて考えても仕方ないけれど、どんな人生の果ての、今は何をしているだろう・・・?

恵子さんに会って、優しくしてもらったお礼を言いたいの。どんなお婆さんになってるかしら。きれいで上品な奥さまだろうなぁ。


チューリップ
春はとうに終わったので片づけました
これを作ってくれた人ともずいぶん長いこと会ってないなぁ。
会おうと思えばいつでも会えるのに

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2020
03.20

ラジオから流れる曲は

Category: 懐かし話
アレクサにいろんな音楽をかけてもらってます。
きょう、アンディ・ウィリアムスやナット・キング・コール、トニー・ベネットなどを聞かせてもらいました
前に書きましたが、子どもの頃のテレビのチャンネル権は父が握っていて、私はなんの不満もなかったのですが、「アンディ・ウィリアムス・ショー」は見て見たかったなと思います。

一人の部屋ではラジオでした。夜になると東京のキー局は、韓国やモスクワ放送に邪魔されて聞きづらくなるのですが、トランジスタの向きを変えたり、ダイヤルを微妙に回したりしながら聞いたものです。
私はナット・キング・コールが好きでした。そう、ベルベット・ボイスね。
御三家なんかにはほとんど興味がなかった、おませな小中学生だったわね。

どこへも出かけない何もない日は、昔の話。

s-IMG_20200320_101222.jpg
切り落とした 大根のヘタ 
水につけておいたら
茎が ひょろひょろ 伸びて
咲いた さいた

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2020
01.21

ガイドヘルパー

Category: 懐かし話
私は1990年頃から10何年か、ガイドヘルパーをしていました。
視覚障害者の外出がおもな仕事でした(のちには身体障害者も)。
ガイドヘルパーの歴史は知りませんが、私が始めた1990年ごろは、まだ制度としてきちんと確立していなかったのではないかと思います。
水戸市は制度があっていいなぁ、と言う声が聞かれましたから、県内他の市町村ではまだ制度がなかったのではないかと思います。

講習を何日間か受けて、いきなり実地に出されたときはずいぶん緊張しましが、たくさんの視覚障害の方々に育てていただきました。
ガイド時には腕を持ってもらうのですが、「○○さんの腕につかまると安心するよ」と言われたことがあります。それは私がやせっぽちでなかったからだと思います。私の太い腕に安心感を持たれたのでしょう。この時ばかりは太い腕が役立ったのですね。
いろんなところに行きました。多いのはやはり病院、買い物。
授業参観、結婚式、お葬式、お墓参り、日帰り旅行、スポーツ大会・・・

磯節

ガイドヘルパーのことを書こうと思ったのは実は、これを見たからです。
民謡の資格試験を受ける人のガイドをしたことを思い出しました。
実技試験のあと、筆記試験があったのですが、別室で受験者が口頭で答えるのを私が代筆するというものでした。
行って初めてそのことが分かって焦りました。私は民謡の「み」の字も知らないからです。「○○追分」とか「○○節」などと曲名、楽器の名前も書いたような。
私が書くのを試験官が見ていて、小さくうなずいたので安心しました。彼は満点で合格しました。
その時彼が歌ったのが「磯節」でした。

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2019
07.28

野馬追と伊豆

Category: 懐かし話
ニュースで今年も相馬野馬追が流れました。故郷を離れて30年の私にはとても懐かしいニュースです。丘と言ってもいいぐらいの本陣山に御神旗を持った武者が駆け上るいつもの映像、カッコいいです。去年も野馬追のことを書いています。 → 2018年7月
亡くなられた風のフェリシアさんにコメントを頂いてました。

懐かしい第2弾。
なんの変哲もない旅館のタオルです、整理していたら出てきました。
中皮腫確定診断前の一時退院の時に行った伊豆の民宿のタオルです。 → 2014年2月
本当はもっと違う、思い出に残せるところを考えてたけれど時間がなく、2月だったこともあり、暖かいだろうと伊豆に行ったのでした。今も口コミで満点をつけられているこの宿。いつか一人でも行ける時が來るでしょうか。
こちらにも亡くなられた鉄人2号さんのコメントがありました。

何をしてもつまらない一日でした。が、「懐かしい」二つのことを思い出しました。5年半こうして日常を書いていて、時々遡って読んでみると、その時々のことがはっきりと思い出されて、生きている自分の頭をなでてやりたくなります。みなさんとのコメントのやり取りは私の宝物です。

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2018
09.24

ハンモック

Category: 懐かし話
ハンモックちょこっと荷物を片づけていたら、ハンモックが出てきました。
昔の網目のではなくて、1枚の布でできています。
30年前頃は網のを使っていたけれど、あれって体が網目模様になるし痛いんですよ。
「ボンレスハムだ!」って大笑いしました。

ハンモックに寝たことはありますか。
気持ちがいいですよ。風が通っていくのを感じます。
木陰に上手に吊るのは難しいようです。夫はいろんな道具を駆使して吊ってくれました。
ハンモックって、地上どのくらいの高さだと思いますか。
20センチくらいです。
えっ、と思うけど、高かったら乗れません。お尻が乗っかるぎりぎりの高さに吊るけれど、体重で沈みます。地面に着くのではないかと心配します。

下から
4年前のキャンプ 
寝そべって本を読んでる時に 見上げた景色です

ハンモックから見える世界は、いつもと違うように感じます。ゆらゆら揺れてると気持ちよくて、ストレスが消えていくようです。

もう吊ってくれる人がいないから処分するしかないでしょうか。
自立式のスタンドみたいのがあるんですけど、情緒が無いわね。

*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*

おまけ。みなさん上手な写真を撮ってらっしゃるでしょうけど
スマホで 見たままの 今夜のお月さま

十五夜


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2018
06.30

セミ

Category: 懐かし話
忙しかった6月は今日で終わり。今年も半分が終わってしまったことになるのですね。
梅雨があけたらすぐに真夏という陽ざしです。あまりの暑さに家に籠っていました。
家中のエアコンをつけるほど太っ腹じゃないので、リビングだけを涼しくして、そこだけでできることをしていました。

来週末の7日は亀戸で、家族会恒例の七夕の集いをします。
花屋さんから笹を買ってきて、短冊に願い事を書いて結びます。
それだけでは淋しいから、七夕飾りを作っちゃおうとがんばりました。
孫の使い残した折り紙で、40枚のお星さま。網も作りました。これらに紐をつけるのがちょっと厄介ですが。

星

20番の太いレース糸でモチーフも編みました。4枚つなげてポーチにしようと思います。
レース編みをしていると、高校生の頃の夏休みを思い出します。毎日朝から晩まで、汗をかきかきレース編みをしていました。
他にすることがなかったのです。遊園地もプールもない田舎です。
ミンミンゼミの声を聞きながら、足を投げ出して編んでいたレースはどんな模様だったのか・・・
涼しい風が吹いてきてヒグラシがなくまで、ひたすら編んでいた。その涼しい風の感覚を今でもはっきり覚えています。

本もずいぶん読みました。
他にすることがないからです。
現代国語の宿題に「小説を書く」がありました。最低20枚だったかな。
ツクツクボウシがなきだす夏休みの終わる頃に、数日で仕上げた記憶があります。
生徒はいい迷惑だったけれど、熱心な若い教師でした。何篇かを選んでガリ版刷りの本にしてくれました。
この思い出にも蝉の声は外せません。

近所の古屋敷のうっそうとした木々が切られて工事中です。
セミは地上に出られるのかしら。

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2018
02.22

役に立たない

Category: 懐かし話
明け方降り出したらしい雪が、ほぼ一日中降っていました。
地表温度はそれほど低くなかったからでしょう、積もることはなかったけれど、時折強く降った時間もありました。
こんな日は(こんな日でなくても)外へ出ることなく、編み物と読書、ちょっとピアノ。
なんて優雅で退屈なんだろうと笑ってしまいます。

編み物は相変わらず、編んでは解きを繰り返しています。
もう何年も編み針を持ってなかったからすっかり忘れてしまって、初心者用の本を引っ張り出しました。
迷っていたえりぐりの減らし目はやはり間違っていました。
他のことにはグズグズ迷うくせに、編み物に関しては潔く決断します。エイッとほどきました。人生もこんなふうに決断できたら良いのにね。

編み物の本を探していて、懐かしい本を見つけました。商業簿記3級の問題集です。
点字を始める前だから40代半ばごろ、簿記を習ったのです。
県立商業高校で、夏休みの土曜日の7.8回を市民に開放して、入門からの講義がありました。
勤め人の若い人に混じって、おばさん頑張りました。
講義終了証書をもらって終わりかと思いきや、せっかくなんだから秋にある試験を受けてみなさいと申し渡されました。

あんなに勉強したことは人生で初めてで最後だったわ。
試験開始、武者震いとともに頭の中は真っ白。それなのに、なんの間違いか合格できたのです。
けれど合格証書と問題集が残っているだけで、何の役にも立ってません。
ただそれだけの話です。この頃、懐かしい話ばかりが続きますね。

s-IMGP5284.jpg
3,4日前の暖かい日 駐車場で日向ぼっこしてたバッタ?
暖かいといっても 冬
雪のきょうは どこにいるのか心配してます


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2018
02.21

恥ずかしい話

Category: 懐かし話
昔話ばっかりで恐縮ですが、訪れたブログに、久能山東照宮などにお出かけの写真をアップされていた方がいらっしゃったので、思い出が蘇りました。

私の人生の汚点なのであまり思い出したくないのですが、半世紀も過ぎると良い思い出だけが残されるのか、昔のような胸の疼きは起こらなくて、こんなふうに書いてみようかなんて思うまでになりました。
汚点って? それは入社半年で会社を辞めてしまったことです。
はい、コネで入りました大手の旅行会社です。
田舎育ちの私には同期入社のみんながまぶし過ぎ、先輩方の洗練された身のこなしにも圧倒されて。
18歳、初めての一人暮らしに負けました。

久能山と何が結びつくって?
研修所での新入社員教育が1か月ちょっとあったでしょうか、その最後の仕上げに行ったのが久能山東照宮。
石垣イチゴ、富士山、熱海のホテルでの舟盛りのおもてなし(なにせ、旅行社ですから)。
懐かしい写真もあったはずなのに、若かった私は忘れてしまいたくて捨ててしまったのか、もう手元にはありません。

親切にしてくれたお友だちもいたというのに・・・ああ、思い出した、森恵子さんといったわ。この方にも会いたいなあ。
佐渡出身のまだ坊主頭だった藤原君に引きとめられたのに。送別会の幹事を結局やってくれた。会ってみたいな。

チャコールグレイのキリリとした制服のスーツが誇らしい、本社内営業所勤務と身に過ぎた勤め先でした。
恥ずかしい思い出なのに、懐かしい・・・


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2018
02.20

貧しい子ども時代 2

Category: 懐かし話
1週間前に貧しい子ども時代の話を書きました。
もう一人気になる人がいるんです。
小さな田舎の小学校でしたが、川を渡ってしばらく山のほうへ行くと分校がありました。
そんなに遠くはなかったのになぜ分校があったのでしょう。
分校が廃止になって、本校に来ることになったうちの一人に、子ども心にも貧しさを感じる女の子がいました。
三つ編みにしていたと思いますが、ほどいて編みなおしてきたのかどうか、という髪をしていたように思います。

名前は私と同じまりちゃん。
6年生の女性の担任は、「同じ名前だし、面倒をみてやってね」と机を並べました。
まりちゃんはたぶん、シラミがいたんだと思います。
ある日、担任はDDTの噴霧器を持ってきました。
まりちゃんだけだと差別みたいだからと、女の子みんなが白くなりました。

△△くんがまりちゃんをからかって、まりちゃんはすごい勢いで怒って外へ飛び出して行ったことがありました。
私と数人が後を追おうとした時に担任は、
「△△くん、あなたが行って連れ戻しなさい」
△△くんは素直に追いかけました。2時間ぐらい経った頃でしょうか。まりちゃんは△△くんと一緒に戻ってきました。

それだけが強烈に覚えているまりちゃんに関する出来事です。
まりちゃんも同じ中学には行きませんでした。その後のことは噂にも聞きません。

尋ね人を探してくれる番組がありましたよね。
まりちゃんのほかに、たかちゃんも探してくれないかなあ。


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2018
02.12

貧しい子ども時代

Category: 懐かし話
ブログ『海見えて』を書いていらっしゃる遠音さんが、11日に「友よ生きていますか?」を書かれ、きょうは「生きのびることを学ぶ」を書いてらっしゃいます。
遠音さんは開催中の冬季オリンピックを見ながら、北に渡ったかつての同級生を想い涙を流していると書かれています。

私にも朝鮮籍の友だちがいました。もしかしたら、おかあさんは日本人だったかもしれません。
色が白く物静かで可愛いスカートをはいていました。絵を描くのがとても上手で、ノートの裏のほうのページに可愛らしい女の子の漫画を描いてもらいました。
小学校5年生ごろです。成本久子ちゃんが朝鮮籍だなんて知りませんでした。
「ボロ買い」と言って揶揄されるのを耳にしても、私には何のことか分かりませんでした。
私が成本さんの家に遊びに行くととても喜んでくれました。
6年生のいつ頃の季節だったでしょう。1961年です。成本さんの姿が見えなくなったのです。
一緒に中学に行くとばかり思っていたのに、黙って転校したのかと寂しく思いました。

長じてから私は、成本さんは帰還船に乗ったのではないかと思いました。噂でお母さんと妹は日本にいると聞きました。
北朝鮮のことがニュースになると、成本さんはどうしているのだろう、寒くはないかしら、ひもじくはないかしらと思います。
私と同じようなお婆さんになって、幸せに暮らしていることを祈るばかりです。

そして遠音さんのきょうの「生きのびることを学ぶ」には、「しらみたかり」と「がんべたかり」のことを書いておられます。
我が地方ではおできが頭や首筋にできている子を「カサコ」と悪口を言ってからかっていました。
私は、一度も口にしたことはないですが、男の子たちがそう言って特定の子をからかっていたのは知っています。
体の小さい、頭が白い粉をふいたようになっている男の子でした。
栄誉状態が良くないので傷が治りきらなかったのでしょう。カサコの痕は、禿たようになっていました。
イジメに加わったことはないですが、かばったこともない傍観者でした。
親しくもない男の子だったので、その後の消息は知りませんでしたが、2011年、津波の犠牲者の中に彼の名前を見つけました。
トラコーマでただれた赤い目の顔が、脳裏に浮かびました。

こんな悲しい寂しい子ども時代があったことを、ちゃんと後世に伝え残していかなければならない。
今の繁栄が、初めからあったと思っているかもしれない子や孫に、どう話せば想像してもらえるだろう。
遠音さんはコメント欄を閉じてらっしゃるので、こんなことを思いましたとお伝えしたくて、書かせていただきました。


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