2017
10.30

在宅ホスピス 2

Category: 介護
在宅緩和ケア・ホスピスを受ける人は、このところ増えているけれど、まだ全体から見れば少ないようです。
緩和ケア病棟は、「日本ホスピス緩和ケア協会」によると400施設に足りないくらい。
そして在宅緩和ケアをする診療所は、全国で56団体が登録されているようです。
北から順に、北海道3団体、宮城6、福島2、茨城1、埼玉1、千葉2、東京10、神奈川2 ・・・ ほか29団体。
こんな程度です。医療の中で遅れている分野なのでしょう。
在宅緩和ケアを受ける患者には時間がありません。その短い時間で、患者・家族が納得し満足するケアを受けるのは難しいことです。
「在宅ホスピス」と検索すると、問題山積の記事がいっぱいです。
患者や家族も、医療者、看護者も高い壁の向こうを覗き見ているのが今の状態なのでしょうか。
その壁を超えるために、経験した者の声を拾い集めて検討・研修し、多くの医師・看護師が育ち、質の高い在宅緩和がどこにいても、誰でも受けられるようになって欲しい。

そしてもう一つ、残された者のグリーフケアにも目を向けてもらいたいと思います。
え? 「あなたには必要ないように見えるけど」ですって? そうかもしれない・・・そうでないとも・・・

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2017
10.29

在宅ホスピス

Category: 介護
奈良にある在宅ホスピスの体験記を読んでいます。
辛い体験記ですから、一気に読めなくて、少しずつ、途中で止めたりしながら読んでいます。

そして思いは夫の在宅での最後のこと。
夫は入院していた緩和ケアから一時帰宅したときに、もう病院には戻りたくないと漏らしたので、私は在宅で看取る覚悟を決めたのでした。
さて、その在宅を支えてくれた訪問診療ですが。とても良くしてくださって感謝していることに間違いはないのです。
が、ずっと抱いているモヤモヤがあって、奈良の在宅ホスピスの体験記を読んでからは、モヤモヤが何であったのかが分かった気がします。

お世話になった在宅診療所は、医師も看護師もスタッフも、とてもいい方たちでした。
でも、なにかが足りないと思っていたのですが、それは経験ではなかったろうかと思うのです。
高齢の方たちの看取りには慣れていたかもしれない。でも末期のがん患者の看取りはどうだったのだろう。
在宅診療ではあっても、在宅ホスピスではなかったということがです。

在宅になって初めて診てもらった時に、死期が迫っていることなどの事実をきちんと伝られていたならば。
高カロリー輸液のパックは1週間分だけが用意されたこと、それが最後の日数の予測だったのではなかろうかと分かったのは後になってからでした。
そういうことを濁さずに説明してくれたならば、無用な苦しみを夫に与える選択はしなかっただろうに。

モルヒネの点滴が始まるときの説明も足りないことのひとつでした。
あのまま物言わぬ状態になるとは考えていなかったので、心の準備が欲しかったと、これも大きな悔いとなりました。

2点だけ、私の一方的な想像で書きました。事実とは違う点があることでしょう。
それを確認したり、すり合わせをしたりすることが必要かもしれないけれど、今はまだ私には・・・

家で看取ることができたのは、先生・看護師さんたちの優しい心があったからだと感謝しています。


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夫の好きな 花海棠
返り咲きしそうなつぼみが 雨に濡れています
台風が去ったら 咲いてくれるよね


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2017
10.11

栄養・水分補給の是非

Category: 介護
昨日大きな後悔と書きましたが、それは情報を生かすことができなかったことです。

6月はじめ、アリムタに有効性が認められなくなり、治療終了を告げられました。
そうなることは予想していたことでしたから、漠然とした延命治療拒否ではなく、きちんと終末期のことを二人で話し合っておくべきでした。
喉まで出かかったことは何回となくありましたが、夫を前にするとどうしても言い出せませんでした。
5月半ば、「俺な、正月はないような気がする」と言ったとき以降は、終末期のことを口にするのは更に辛く、酷なことに思えました。

終末期に関する情報は私一人の胸に仕舞いました。
その大事な情報のひとつが、死にゆく人に施す栄養や水分の補給は病人を苦しめるだけだということです。
そのことは、長尾和宏医師をはじめ多くの医療関係者が語っています。
なぜ夫と話し合わなかったのか、それが間違いの第1番目。
2番目は、訪問診療の医師が反対の立場だったことです。そしてそれを受け入れてしまったことです。

栄養補給と水分の補給が為されてから、夫は痰が絡むようになって、ひどく苦しめられていました。
一度は呼吸ができなくなって息が止まりました。そこで痰を吸い取るために、気管に小さな穴をあけるミニトラックの処置を受けました。
それでもIVHは続けられました。毎日疑問が頭の中で渦巻いていましたが、「これって絶対に必要なのですか」という一言が言えなかった意気地なしの私でした。
IVHが始まって10日が過ぎたころ、ついに私は前に入院していた緩和病棟を訪ねました。私の考えを聞いてもらいたかったからです。
病棟にいた若い男性看護師が話を聞いてくれました。
緩和病棟にいたとして、IVHなどをどうしたと思うかとの質問に、彼は施さなかったと思うと答えました。
涙を流しながら帰宅して、すぐに訪問診療所に電話をしました。「輸液を断わりたいと医師に伝えて欲しい」
すぐに看護師が駆け付けてくれ、点滴の速度を調整してくれました。輸液のルートには痛みどめが入っているので、すぐに止めるわけにはいかないという説明だったと思います。
そしてそれから4日後に夫は亡くなりました。

苦しみを増すだけのIHVだったのではないか。私が強い気持ちで反対すればよかった。
いろんな管に繋がれることを嫌がっていた夫だのに、私は代弁しなかった。
「先生、殺してくれ」とまで夫は言ったのに、医師も私も聞こえないふりをした・・・大きな後悔です。
    

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2017
10.10

延命治療

Category: 介護
夫の介護での後悔のひとつに、最後を詰めておかなかったということがあります。
「延命治療はしない」ことだけは互いに確認していましたが、どの処置を延命治療というか。
2人は、延命治療と言って思い浮かべる、心臓マッサージ・人工呼吸器・水分補給の点滴などをイメージして話していたに過ぎなかったのです。
そのことが、大きな後悔を生むことになったのです。

在宅介護が始まり血液検査の結果、栄養状態が極めて悪いので、中心静脈栄養(IVH)をしたいと言われました。

「私たちは延命治療はしないと話し合っていました。IVHはどうなのでしょうか。IVHは延命治療だというお医者様の意見を読んだことがあります」
「そういう考えの医師も、そうでない医師もいます。私はそうでない考えです。今は少し栄養をつけるべきだと考えます。状態がよくなったら抜くこともできます」

そのことを夫も納得した。
と思うのです。納得したからIVHが始まったと思うのですが、記憶が飛んでいます。
この時夫は意思表示ができていたはず。
と思うので、意思を確認したはずですが、記憶が定かではない。

この時IVHを断らなかった、迷った挙句受け入れたことが、夫を苦しめることになり、私は自分の意気地なさを責めるのです。



お口直しに
モンゴル旅行で友だちになったAさんの地元のお祭りの写真です。
鉄砲を担いで1日中走り回って発砲したんだとか。
手を叩いて喜んでる夫がいるように思います。
元気だったら絶対お祭りに行ってたわね。

s-鉄砲隊s-その2


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2017
10.08

訪問診療所

Category: 介護
2年前の今ごろは、入院していた緩和病棟を退院していました。在宅での最期を覚悟し、訪問診療の医師に初めて来てもらっていたころです。

訪問診療に関して書いておきたいこがあるのですが、重い後悔がどうしても先に立って筆が進みません。
でもいつかは、書かなければならないと思っています。
夫を看取った経験者としてだけでなく、自分の最期の時のためにも、思うことを書いておくべきと考えています。

訪問診療所のこと。
ターミナルケアをしている訪問診療所は地方には少なくて、患者と家族の考えと診療所の方針をすり合わせることなどできない。
そもそも「選ぶ」診療所がないのです。
残された短い時間の中では、妥協しかなかった・・・
・・・良くしていただきました。助けがなかったらとてもできない在宅の看取りでした。
けれど、後悔の波荒く。

思い出が辛い3週間です。
元気にしていますが、それなりに落ち込むこともありまして。偶には未亡人らしく。


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2017
06.20

曖昧な記憶

Category: 介護
更新を待っているブログがあります。きょうは、<夫の最後の言葉>でした。
「なにも心配せんでエエで」
突然独り言のように言ったのだとか。

私は夫との最後をはっきりと思い出せません。
いつごろから夫の言葉が消えたのかも覚えてませんが、<最後の言葉>というと辛い記憶が蘇ります。

トイレに立てなくなり、ポータブルトイレにも座れないくらい体力が衰えたとき、泣く泣く介護パンツを買いました。
使わないですむのなら、シーツなんか、毛布なんかいくら汚したっていい、洗えばいいのだからと思っていましたが。
でもシーツ交換するとき、横向きにされる夫はとてもとても辛そうでした。体力を極端に消耗するように思いました。
「ごめんね、ごめんね」と介護パンツをはかせました。
でも、どんなに謝っても夫はそれが嫌だったのです。
ペリペリ ペリペリと、力の入らない指でテープを剥がすのです。

同じ頃かあとだったか。
痰が気管に詰まって大事に至るところだったとき、緊急にミニトラックをつけました。
本人が同意するもしないもない、緊急でした。
ところが夫は不本意だったのでしょう。目を離した隙に引き抜いてしまったのです。
医師が来て再設置の処置が終わった時だったか。
夫が医師の目を見据えて絞り出すように言ったのです。
「この女が・・・・・・」

夫がこれだけは嫌だと言っていた、チューブと紙おむつ。それらを拒否することさえできない自分にどんなに絶望していたか。
「この女が、俺の言うことを聞かない」と必死に訴えたのではないか。
それが夫の最後の言葉だったという記憶が、私を苛みます。

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後日、お焼香に来られた先生や看護師さんにこのことを話しました。先生は言ってくださいました。
「それは違うでしょう。うちの看護師のことでしょう。奥さんのことを間違っても『この女』という人じゃないと思います」

思い出すと泣けますが、こうも考えます。
私に甘えきっていた人です。何を言っても許されると思ってた人です。
わがままな夫らしい、わがままな最後の言葉だったかもしれないと。

記憶は曖昧です。



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2017
02.17

強風の日

Category: 介護
春いちばんが吹いたのだそうですね。
こんな強風の日は辛いことを思い出します。
あの人が逝ったのも朝から強風が吹く秋の日でしたから。
きょうまで、あの人の最後を書くことが出来なかったけれど、きょうは書けそうなので記録しておきます。記録です。

「ご主人、本当によく頑張りました。考えていたよりずっと頑張っておられました。2,3日、若いからもう少し・・・けれど、週を越えることはないと思ってください」
と、前日訪問の医師に告げられたのに、こんこんと眠るあの人がいなくなるなんて思えなかった・・・

だからいつもは冷たい手足がきょうは暖かいのを、良い兆候だとさえ思ってた馬鹿な私。
高熱が出ているのだと分かって看護師が急いできてくれて、バイタルチェックは瞳孔反応からでした。

「おとうさん、もう十分がんばったよ。私たちは大丈夫、心配ないから。安心していいよ」
「おとうさん、もういいよ。がんばらなくていいよ」

看護師が時計を確認して。
「え? 今ですか」というほど静かに逝ったのでした。
ゴーッと強い風が木を揺らしていました。
「おとうさん、この風を待ってたんだよきっと。風に乗ってモンゴルへ行ったんだと思う」
そう思いました、不思議にそう思うと心が休まる気がしたのでした。

遊びに行こうよと誘っているみたいな風が吹くときがあります。
そんな時に空を見上げると、飛行機がキラリと光ったり、航空灯が見えたり。
堪らない気持ちになるのです。
でもね、大丈夫。私は元気ですよ。


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2015
10.27

大仕事

Category: 介護
夫にとっては、こんなはずじゃなかっただろう高カロリー輸液の点滴。
経緯はどうだったのか、私の記憶が最近の事なのにあやふやで自信が無くなっているのですが、中心静脈注に同意したことは確かなこと。
そのころはまだ夫は自分の意思を示すことができたので、夫も同意した、はず。

この輸液のせいだったのだろうか、痰に苦しめられていた夫です。
24日土曜日、輸液を断りました。輸液の量を半分にして様子を見ていましたが、痰は確かに減りました。

20日ごろから尿量が減っていて、時折呼吸が荒くなる時間がでていましたが、輸液を減量したせいなのか、時を同じくしただけなのか、日曜日夕方から呼吸の荒さが続いていました。
昨日の往診のおり先生がおっしゃいました。
「ご主人、本当によく頑張りました。考えていたよりずっと頑張っておられました」
2,3日、若いからもう少し・・・けれど、週を越えることはないようです。


娘と交代して起きています。

ーーもう十分頑張ったよ、先生もそうおっしゃってた。
もう頑張らなくてもいいんだよ。私たちは大丈夫。
それぞれに、それなりの覚悟はついているんだから。

ただ一人めそめそおろおろしていた息子も、昨夜姉に諭されて彼の覚悟を示しました。
父の近くに音源を置いて『レット・イット・ビー』を流したあと、少し微笑んで帰って行きました。
カッコつけすぎじゃない? でもいいよ、そうしなきゃ動けなかった弱虫のあんただもの。

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死ぬことは本当に大仕事だなと感じています。
荒い呼吸を続ける夫は何を思っているのかしら。
息子みたいにカッコつけて去りたかったのじゃないかしら。
自分の美学では到底許されない姿でベッドに横たわっています。
「死ぬのって思っていたより大変なんだよな」
と言っているような気がします。
     


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2015
10.23

彩椛の引っ越し

Category: 介護
きょうから、ママと彩椛が水戸市民になりました。
一時転校のため住民票を移動したのです。
10月10日土曜日に水戸に来て、15日までの秋休みの間じゅう良い子でいてくれました。
16日に登校したものの再び土曜日に水戸に来ていました。
それから毎日夫の病状が安定せず、娘は帰るに帰れずいてくれたのですが、一人看護の私を気遣ってあれこれ考えた末に、彩椛を転校させて一緒に介護をすると提案したのです。

そんなことまでしなくても私は大丈夫だよと言いましたが、訪問看護師さんからは好意を受けたほうが良いとアドバイスされました。
私が倒れては介護そのものが成り立たないことなど考え、私は娘の提案を受けることにしました。
実際一人介護では、買い物に行くことも難しいし、お風呂もさっとシャワーですましていたのでした。

彩椛が心配でしたが、ママの説明を理解して、転校を納得してくれました。
楽しみにしていた遠足に行けなかった代わりに、ディズニーランドへ連れて行くという甘い誘惑もあったのですが。

そんなできごとも知らず、きょうの夫は1日眠っています。話しかければ目を開けますが、すぐにまた眠ってしまいます。
どうしてやれることもできず可哀そうだった痰の詰まりは、きょうはほとんど吸引していません。
抗生剤が効いてきたのでしょうか。

きょうは今のところ穏やかな夜になりそうです。なればいいなあ。
考えなければならないこと、決めなければならないことなど大事なことがあるのですが、それは今夜は考えないでおきましょう。


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退院する前の日
緩和ケア病棟から見た 夕暮れ



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2015
10.19

娘の手伝いを受けて

Category: 介護
ご心配頂いていると思います。
夫も私もがんばっております。

痛みと息苦しさののコントロールはできていますが、痰の排出に苦しんでいます。
痰がからんで窒息しそうになって、緊急にミニトラックをつけました。
日常の吸引は私がやっています。
目が離せません。

酸素を送る機械、痰を吸引する機械などが所狭しと置かれ、すっかり病室となったリビングで今夜も心細い夜が始まりましたが、さいかママが手伝いに来てくれています。
娘はありがたいものです。


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