2018
04.24

要介護認定を早期に

Category: 介護
癌と診断されたら緩和ケア、と昨日書きましたが、もう一つ夫の看護から学んだことがあります。
要介護認定を早くに受けるべきだということです。

夫が中皮腫と診断されたのは2014年1月、63歳6か月の時。
そして8月には、私が一人で緩和ケア外来で面談を受けました。
それから7か月後2015年4月、緩和ケア外来で痛み止めの処方を受けることにしました。

その3か月後65歳になった時に、要介護認定の手続きをしました。
夫は車中泊などしながら釣りに行くくらい元気でしたが、息切れが目立ってきました。
夫はすんなりと認定調査を受けてくれました。
見た目ではとても病人に見えない夫だし、質問にもオチャラケながら答えていたし、認定は無理かな。
そこで私は中皮腫の特異性を強調して話しました。徐々に悪くなるのではなく、ある日を境に突然介護が必要になる病気なのだと、調査員に分かってもらえるように必死で説明しました。

結果、2週間後、要介護2の決定通知を受けたのです。早い決定でした。
介護ステーションとの契約、介護用品のレンタル契約など、嫌になるほど書類を書きました。
夫が元気だったからできたと思います。もし夫の状態が良くなかったら、夫を置いてあちこち飛び回ったり、書類に目を通す余裕はあっただろうか。
早いうちに手続きを済ませたことで、その後の介護が心配なく始められました。

クレマチス
クレマチスがほころびましたが 夜になって結構な雨です
だいじょうぶかしら 

「近赤外光線免疫治療法」
先日ラジオで聞きました。こんなサイトを見つけましたので貼り付けます。
良い事尽くめの新しいがん治療法。癌の世界を変える治療になって欲しい。


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2018
04.03

在宅診療

Category: 介護
昨日朝のテレビで赤荻先生は、在宅診療をチームで支える取り組みを始めたという話題で出演されていました。

夫の在宅の、それも末期での訪問診療で不安だったことは、基本的には土日の往診は無しということでした。
緊急の場合は対応してくれるとはいうものの、患者には土曜日も日曜日もない。現に、夫は土曜日に、気管に挿入されていたミニトラックを引き抜いてしまいました。
診療所に電話をしたけれど医師はいません。診療所の職員が休みの先生に連絡を取り、先生が家に来てくれましたが、その間数時間、とても不安でした。
それから、真夜中に激しい痛みが続いた時。その時も電話をしたけれど先生はいなくて、代診の先生が電話に出て、指示はオプソ(モルヒネ内服薬)を飲ませること以外にはありませんでした。それが効かないから電話をしているのにと、不安と失望の中で朝を待ちました。

そんな経験から、私は地域の開業医が連携して訪問診療にあたれば、いつもどこかの医師が対応してくれるのにと思っていました。
このことは以前に書いた記憶があるのですが、もしかしたらどなたかのコメントの中に書いたのかもしれません。
赤荻先生は長年の地域医療、訪問診療からお考えになって、実行に移そうとされている。ありがたいことです。
全国の開業医が取り組んでくれるように願っています。
先生は訪問診療の若い医師を育てることも始めているようです。こういう取り組みに応募する医師がたくさん現れて欲しいと思います。

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2018
03.04

確として

Category: 介護
きのうのがんサロン「サルビアの会」での話を書こうとしているのですが、思いは湧いてくるのですが、文章に現せません。
s-サルビア文章力がないことが第一の原因ですが、どうにも気持ちの整理がついていないのも原因かと思うのです。

ずっと頭から離れない二つのことを、みんなの前で話しました。
一つは私の話がきっかけになったように、出席の方たちに話の輪が広がりました。
遺族としても出席の保健師さんは、ご自身のブログにこの事を書いてくださっていました。グリーフケアの言葉は聞かれるのに。身近で機能していないと。

もう一つは在宅の看取りの後悔です。
この事を書こうとすると、言葉が出てきません。
とつとつと、先生に訴えることはできましたが、書くことは難しい・・・

「在宅で看取ったことはとても良かった・・・よかったけれど、先生はハズレだったんだね」
在宅医が終末期の看護をどうとらえているか、医師の質の問題だという赤荻先生。
在宅医がどんな考えの先生か分からなかった、分かったところで他に在宅医はいなかった。そこが問題。

私が後悔していること、そのことは間違いではなかった(根拠のない後悔ではなかったということ)。
なかったゆえに、後悔は確として心に刻み込まれて消すことができない。


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2017
10.30

在宅ホスピス 2

Category: 介護
在宅緩和ケア・ホスピスを受ける人は、このところ増えているけれど、まだ全体から見れば少ないようです。
緩和ケア病棟は、「日本ホスピス緩和ケア協会」によると400施設に足りないくらい。
そして在宅緩和ケアをする診療所は、全国で56団体が登録されているようです。
北から順に、北海道3団体、宮城6、福島2、茨城1、埼玉1、千葉2、東京10、神奈川2 ・・・ ほか29団体。
こんな程度です。医療の中で遅れている分野なのでしょう。
在宅緩和ケアを受ける患者には時間がありません。その短い時間で、患者・家族が納得し満足するケアを受けるのは難しいことです。
「在宅ホスピス」と検索すると、問題山積の記事がいっぱいです。
患者や家族も、医療者、看護者も高い壁の向こうを覗き見ているのが今の状態なのでしょうか。
その壁を超えるために、経験した者の声を拾い集めて検討・研修し、多くの医師・看護師が育ち、質の高い在宅緩和がどこにいても、誰でも受けられるようになって欲しい。

そしてもう一つ、残された者のグリーフケアにも目を向けてもらいたいと思います。
え? 「あなたには必要ないように見えるけど」ですって? そうかもしれない・・・そうでないとも・・・

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2017
10.29

在宅ホスピス

Category: 介護
奈良にある在宅ホスピスの体験記を読んでいます。
辛い体験記ですから、一気に読めなくて、少しずつ、途中で止めたりしながら読んでいます。

そして思いは夫の在宅での最後のこと。
夫は入院していた緩和ケアから一時帰宅したときに、もう病院には戻りたくないと漏らしたので、私は在宅で看取る覚悟を決めたのでした。
さて、その在宅を支えてくれた訪問診療ですが。とても良くしてくださって感謝していることに間違いはないのです。
が、ずっと抱いているモヤモヤがあって、奈良の在宅ホスピスの体験記を読んでからは、モヤモヤが何であったのかが分かった気がします。

お世話になった在宅診療所は、医師も看護師もスタッフも、とてもいい方たちでした。
でも、なにかが足りないと思っていたのですが、それは経験ではなかったろうかと思うのです。
高齢の方たちの看取りには慣れていたかもしれない。でも末期のがん患者の看取りはどうだったのだろう。
在宅診療ではあっても、在宅ホスピスではなかったということがです。

在宅になって初めて診てもらった時に、死期が迫っていることなどの事実をきちんと伝られていたならば。
高カロリー輸液のパックは1週間分だけが用意されたこと、それが最後の日数の予測だったのではなかろうかと分かったのは後になってからでした。
そういうことを濁さずに説明してくれたならば、無用な苦しみを夫に与える選択はしなかっただろうに。

モルヒネの点滴が始まるときの説明も足りないことのひとつでした。
あのまま物言わぬ状態になるとは考えていなかったので、心の準備が欲しかったと、これも大きな悔いとなりました。

2点だけ、私の一方的な想像で書きました。事実とは違う点があることでしょう。
それを確認したり、すり合わせをしたりすることが必要かもしれないけれど、今はまだ私には・・・

家で看取ることができたのは、先生・看護師さんたちの優しい心があったからだと感謝しています。


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夫の好きな 花海棠
返り咲きしそうなつぼみが 雨に濡れています
台風が去ったら 咲いてくれるよね


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2017
10.11

栄養・水分補給の是非

Category: 介護
昨日大きな後悔と書きましたが、それは情報を生かすことができなかったことです。

6月はじめ、アリムタに有効性が認められなくなり、治療終了を告げられました。
そうなることは予想していたことでしたから、漠然とした延命治療拒否ではなく、きちんと終末期のことを二人で話し合っておくべきでした。
喉まで出かかったことは何回となくありましたが、夫を前にするとどうしても言い出せませんでした。
5月半ば、「俺な、正月はないような気がする」と言ったとき以降は、終末期のことを口にするのは更に辛く、酷なことに思えました。

終末期に関する情報は私一人の胸に仕舞いました。
その大事な情報のひとつが、死にゆく人に施す栄養や水分の補給は病人を苦しめるだけだということです。
そのことは、長尾和宏医師をはじめ多くの医療関係者が語っています。
なぜ夫と話し合わなかったのか、それが間違いの第1番目。
2番目は、訪問診療の医師が反対の立場だったことです。そしてそれを受け入れてしまったことです。

栄養補給と水分の補給が為されてから、夫は痰が絡むようになって、ひどく苦しめられていました。
一度は呼吸ができなくなって息が止まりました。そこで痰を吸い取るために、気管に小さな穴をあけるミニトラックの処置を受けました。
それでもIVHは続けられました。毎日疑問が頭の中で渦巻いていましたが、「これって絶対に必要なのですか」という一言が言えなかった意気地なしの私でした。
IVHが始まって10日が過ぎたころ、ついに私は前に入院していた緩和病棟を訪ねました。私の考えを聞いてもらいたかったからです。
病棟にいた若い男性看護師が話を聞いてくれました。
緩和病棟にいたとして、IVHなどをどうしたと思うかとの質問に、彼は施さなかったと思うと答えました。
涙を流しながら帰宅して、すぐに訪問診療所に電話をしました。「輸液を断わりたいと医師に伝えて欲しい」
すぐに看護師が駆け付けてくれ、点滴の速度を調整してくれました。輸液のルートには痛みどめが入っているので、すぐに止めるわけにはいかないという説明だったと思います。
そしてそれから4日後に夫は亡くなりました。

苦しみを増すだけのIHVだったのではないか。私が強い気持ちで反対すればよかった。
いろんな管に繋がれることを嫌がっていた夫だのに、私は代弁しなかった。
「先生、殺してくれ」とまで夫は言ったのに、医師も私も聞こえないふりをした・・・大きな後悔です。
    

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2017
10.10

延命治療

Category: 介護
夫の介護での後悔のひとつに、最後を詰めておかなかったということがあります。
「延命治療はしない」ことだけは互いに確認していましたが、どの処置を延命治療というか。
2人は、延命治療と言って思い浮かべる、心臓マッサージ・人工呼吸器・水分補給の点滴などをイメージして話していたに過ぎなかったのです。
そのことが、大きな後悔を生むことになったのです。

在宅介護が始まり血液検査の結果、栄養状態が極めて悪いので、中心静脈栄養(IVH)をしたいと言われました。

「私たちは延命治療はしないと話し合っていました。IVHはどうなのでしょうか。IVHは延命治療だというお医者様の意見を読んだことがあります」
「そういう考えの医師も、そうでない医師もいます。私はそうでない考えです。今は少し栄養をつけるべきだと考えます。状態がよくなったら抜くこともできます」

そのことを夫も納得した。
と思うのです。納得したからIVHが始まったと思うのですが、記憶が飛んでいます。
この時夫は意思表示ができていたはず。
と思うので、意思を確認したはずですが、記憶が定かではない。

この時IVHを断らなかった、迷った挙句受け入れたことが、夫を苦しめることになり、私は自分の意気地なさを責めるのです。



お口直しに
モンゴル旅行で友だちになったAさんの地元のお祭りの写真です。
鉄砲を担いで1日中走り回って発砲したんだとか。
手を叩いて喜んでる夫がいるように思います。
元気だったら絶対お祭りに行ってたわね。

s-鉄砲隊s-その2


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2017
10.08

訪問診療所

Category: 介護
2年前の今ごろは、入院していた緩和病棟を退院していました。在宅での最期を覚悟し、訪問診療の医師に初めて来てもらっていたころです。

訪問診療に関して書いておきたいこがあるのですが、重い後悔がどうしても先に立って筆が進みません。
でもいつかは、書かなければならないと思っています。
夫を看取った経験者としてだけでなく、自分の最期の時のためにも、思うことを書いておくべきと考えています。

訪問診療所のこと。
ターミナルケアをしている訪問診療所は地方には少なくて、患者と家族の考えと診療所の方針をすり合わせることなどできない。
そもそも「選ぶ」診療所がないのです。
残された短い時間の中では、妥協しかなかった・・・
・・・良くしていただきました。助けがなかったらとてもできない在宅の看取りでした。
けれど、後悔の波荒く。

思い出が辛い3週間です。
元気にしていますが、それなりに落ち込むこともありまして。偶には未亡人らしく。


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2017
06.20

曖昧な記憶

Category: 介護
更新を待っているブログがあります。きょうは、<夫の最後の言葉>でした。
「なにも心配せんでエエで」
突然独り言のように言ったのだとか。

私は夫との最後をはっきりと思い出せません。
いつごろから夫の言葉が消えたのかも覚えてませんが、<最後の言葉>というと辛い記憶が蘇ります。

トイレに立てなくなり、ポータブルトイレにも座れないくらい体力が衰えたとき、泣く泣く介護パンツを買いました。
使わないですむのなら、シーツなんか、毛布なんかいくら汚したっていい、洗えばいいのだからと思っていましたが。
でもシーツ交換するとき、横向きにされる夫はとてもとても辛そうでした。体力を極端に消耗するように思いました。
「ごめんね、ごめんね」と介護パンツをはかせました。
でも、どんなに謝っても夫はそれが嫌だったのです。
ペリペリ ペリペリと、力の入らない指でテープを剥がすのです。

同じ頃かあとだったか。
痰が気管に詰まって大事に至るところだったとき、緊急にミニトラックをつけました。
本人が同意するもしないもない、緊急でした。
ところが夫は不本意だったのでしょう。目を離した隙に引き抜いてしまったのです。
医師が来て再設置の処置が終わった時だったか。
夫が医師の目を見据えて絞り出すように言ったのです。
「この女が・・・・・・」

夫がこれだけは嫌だと言っていた、チューブと紙おむつ。それらを拒否することさえできない自分にどんなに絶望していたか。
「この女が、俺の言うことを聞かない」と必死に訴えたのではないか。
それが夫の最後の言葉だったという記憶が、私を苛みます。

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後日、お焼香に来られた先生や看護師さんにこのことを話しました。先生は言ってくださいました。
「それは違うでしょう。うちの看護師のことでしょう。奥さんのことを間違っても『この女』という人じゃないと思います」

思い出すと泣けますが、こうも考えます。
私に甘えきっていた人です。何を言っても許されると思ってた人です。
わがままな夫らしい、わがままな最後の言葉だったかもしれないと。

記憶は曖昧です。



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2017
02.17

強風の日

Category: 介護
春いちばんが吹いたのだそうですね。
こんな強風の日は辛いことを思い出します。
あの人が逝ったのも朝から強風が吹く秋の日でしたから。
きょうまで、あの人の最後を書くことが出来なかったけれど、きょうは書けそうなので記録しておきます。記録です。

「ご主人、本当によく頑張りました。考えていたよりずっと頑張っておられました。2,3日、若いからもう少し・・・けれど、週を越えることはないと思ってください」
と、前日訪問の医師に告げられたのに、こんこんと眠るあの人がいなくなるなんて思えなかった・・・

だからいつもは冷たい手足がきょうは暖かいのを、良い兆候だとさえ思ってた馬鹿な私。
高熱が出ているのだと分かって看護師が急いできてくれて、バイタルチェックは瞳孔反応からでした。

「おとうさん、もう十分がんばったよ。私たちは大丈夫、心配ないから。安心していいよ」
「おとうさん、もういいよ。がんばらなくていいよ」

看護師が時計を確認して。
「え? 今ですか」というほど静かに逝ったのでした。
ゴーッと強い風が木を揺らしていました。
「おとうさん、この風を待ってたんだよきっと。風に乗ってモンゴルへ行ったんだと思う」
そう思いました、不思議にそう思うと心が休まる気がしたのでした。

遊びに行こうよと誘っているみたいな風が吹くときがあります。
そんな時に空を見上げると、飛行機がキラリと光ったり、航空灯が見えたり。
堪らない気持ちになるのです。
でもね、大丈夫。私は元気ですよ。


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