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2018
07.13

ピア

近隣の野球場では今、高校野球の地区予選が行なわれています。
昨日は183センチ孫が全校応援とやらで真っ赤に日焼けして帰って来ました。勝ち進んだので明後日も応援だそうです。
選手も大変だけれど、応援の生徒たちもこの炎天下、容易なことではありません。

容易でなかったもう一人の孫、きょうの高2女子。
学校から迎えにきてと連絡があったのですが、お嫁ちゃんはその時簡単には迎えに行けない距離にいたので、私にヘルプの電話がありました。
すぐに球場に迎えに行き、家に連れ帰って寝かせておきました。眠るねむる。軽い熱中症だったのでしょうか。
お嫁ちゃんが迎えに来た時には元気を取り戻していました。

広島も末っ子が元気になって、山陽道もあすには通れるようになり、品物もほぼ以前と同じように並んでいるそうです。

タイム
タイム  
小さな花に小さなアリ


昨日は亀戸で患者会でした。新しい人が出席されました。患者の奥さまです
大手ゼネコンに入社後数年、新人は現場を経験させられ、その後は内勤で現場には出ていないとか。
その数年でアスベストにばく露、40数年後に中皮腫を発症。
労災は支給決定、抗がん剤治療も進んでおられるこの方の奥さま、昨日の患者会に何を求めていらしたのか。
お話を伺うと、お嬢さんが父親の食事にこまかな注文を出すのだそうです。
有機野菜の手作りジュース・肉は鶏の胸肉以外はダメ・・・など。
お父さんに元気になって欲しい一心、心根は理解できますが、奥さまは、
「ちょっと疲れるの」と小さく漏らしてらっしゃいました。

愚痴りたかったのでしょう、同じ経験をした仲間の話を聞きたかったのでしょう。
それに対して、私たちは応えることができただろうか。奥さまは何かを得て帰られただろうか。
難しい、とても。
ただお話を伺う、話し相手になるだけに徹することの難しさを思い知ったことでした。


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2018
06.26

尼崎集会 2018

尼崎への出張は、1日目が「クボタ・ショックから13年の集会」出席でした。
7時すぎの特急に乗るために自転車で家を出て、上野で乗り継ぎ東京駅。お弁当を新幹線の中で食べて新大阪。JRで大阪。阪急梅田から阪急尼崎。新幹線の途中から雨が窓を濡らして、降りた時には本降りになっていました。

「アスベスト被害の救済と根絶をめざす尼崎集会」は患者や家族、支援の人たち300人が参加して開かれました。
映像、市長挨拶、調査報告、音楽、医師・ソーシャルワーカー・ジャーナリストの話などと次々に進みますが、長時間の集会にも関わらず時間が過ぎるのを早く感じました。
なかで、アスベスト疾患で闘病中の3人と建設アスベスト訴訟原告の話は、会場に訴えるものがありました。当事者の悔しさが伝わりました。

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「アスベスト被害根絶尼崎宣言 2018」と「神戸新聞」の記事 
(画像クリックで大きくなります)


終了後の懇親会も大勢が参加され、各テーブルで話が弾み、司会者の声も聞こえないほどでした。
私は始めての参加でしたので、他の支部の世話人との交流に努めました。
2次会のカラオケは途中で失礼して、朝の寝不足を補うために早くベッドに入りました。
宵の口に1度グラッと揺れましたが、地震慣れしている私は再び眠りにつくことができました。

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2018
06.19

尼崎集会

今週末は2泊で尼崎に行きます。
1日目は「アスベスト被害の救済と根絶をめざす 尼崎集会」に参加します。“クボタショック”から13年。
私は初参加です。

日時:6月23日(土) 午後1時から4時45分
場所: 尼崎市中小企業センター(阪神尼崎駅近く)
参加費無料

初参加なので詳しくは分かりませんが、講演・報告・写真展などとチラシに書いてあります。終了後は、おそらく懇親会。
2日目は患者と家族の会総会。関東世話人になったので、こちらも初参加。
午後からと次の日のお昼までが予定なし。午後に叔母に会いに武庫川へ。夕方の新幹線で帰ります。

きょうは最寄駅に行って切符を求めてきました。
いつもは行き当たりばったりが多いのですが、今回は他の世話人と新幹線ホームで待ち合わせているから、予め往復の切符を用意しましたよ。
あまり用意周到だと、かえって何かハプニングが起きそうで心配なんですけど。

きっぷ

“クボタショック”のあとの2006年発行の『明日をください』を読んで知識を蓄えています。

アスベスト問題に取り組んできた人々を紹介したい。20数年前からアスベストに立ち向かってきた横須賀の労働者。アスベスト被害を掘り起し患者と家族のネットワークをひろげてきた「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」。そして、クボタ・ショックを引き出した人々の記録である。  写真・文 今井 明

夫が罹患するまで、全く他人事だったアスベストのこと。  
未だに分からないアスベスト問題の底しれぬ不気味さ。

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2018
06.17

ピア・サポート講座

ピア・サポート講座、北海道の北星学園教授・大島寿美子先生の講義を受けました。
ピアサポートとは(資料から)、

当事者が互いに支え合いながら、それぞれが自分なりのやり方で問題に対処していく力をつけること

そして成長していくこと。
 ・体験したからこそ分かり合える共感。
 ・体験を通して得た情報や対処の仕方や知識。
 ・互いに支援し合う関係。
 ・同じ体験をしたひとの言動をみて手本にしたり、自分が手本になる。
活動の中心は、「話すことと聞くこと」。
話すことで、
 ・思いを外に出す
 ・気持を整理する 
 ・経験を解釈し直す
<話すことは「放す」こと>
聞くことで、
 ・相手との共通点に共感する
 ・違いや多様性に気づく
 ・新たな知識を見出す
<聞くことは「放されたこと」を受け止めること>
と私はメモしました。

ピア・サポートにはコミュニケーション能力が問われます。
 ・人を「尊重」すること。自分も相手も尊重しながら率直に表現する。
 ・「私」メッセージで話す。こう聞いたではなく、こう思う。
 ・心をこめて聞く。
 ・人が持つ力を信じる。
「自分を語る」ために、体験を文章に起こすことが二日目の課題でした。
夫の闘病の記録を時系列に沿って、その時の気持ちを加えながら、原稿用紙3000字。
先生の添削を受けた後、みんなの前で読みました。
受講者6名、みなさんとても素晴らしい発表です。
「すばらしい。よく書けてますよ」と先生は肩を抱いてくださいました。


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2018
06.14

ピア・サポート講座

今回の上京はピア・サポート講座を受講することが目的です。
講師は、患者会とも長い付き合いのある、北星学園教授・大島寿美子先生です。

出席者の自己紹介のあと、いきなりテストから始まりました。ひえー、聞いてないわ、などざわざわの中、真剣に回答。
○✕式でしたが、どうして○と思ったかなど、考えを述べることのほうが目的のようです。
一人一人の考えを否定することなく導き出し、肉付けする。さすがの手法に唸りました。

明日の講座の目的は
がん患者・体験者や家族が、自分の体験を整理し、人に伝える方法を学ぶ

原稿用紙4~5枚にまとめ、語りとして発表するために、体験を時系列にまとめる宿題が出されました。
ああ、それなのにおっちょこちょいの私は、同宿者と食事に行った帰りに、エントランスの自販機でビールなんか買ってしまって、酔ってます。
明朝はどうせ早く目覚めるのだから、追い詰められた子どもみたいに、朝に宿題をこなすことにして、こんやも早寝をすることにします。

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2018
06.08

街頭署名

大きな大きな喜びがありました。
私のブログを見たかたが、署名を集めるために街頭に立ってくださったのです。
詳しく書かれるのはお嫌だろうと思うので、ここまでにします。
なんとお礼を申し上げれば良いか。
のんびり本なんか読んでいた自分が恥ずかしい。

IMGP5497.jpg見ず知らずの他人のために街頭に立ってくださった、大きな愛に感謝申し上げます。
おいしいものを食べて体力回復なさってくださいね。
くれぐれもお大事になさってください。

明日は会報発送作業で亀戸です。
みんなに嬉しい報告ができます。


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2018
06.03

大宣伝行動

5月31日、上京して映画を観た翌日6月1日は、中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会が例年行っている省庁交渉と、それに先立つ院内集会のお手伝いでした。
参加者の交通・宿泊費の精算業務で、お金を扱う仕事だったのでちょっと緊張しましたが、二人一組で行い過不足なく〆ることができ(と思います)てホッとしました。

そしてさらに翌日の昨日は、新宿駅西口での大宣伝行動に初参加。
大勢の参加者がチラシや書名板を下げて1時間、通行の人々に建設アスベストの支援をお願いしました。
街宣車の上に立った人の訴えに、
「この新宿など、立派なビルは自分たちが建てたのだという誇りを持っています」
と語ってらっしゃいました

夫も、ショッピングビル・病院・学校・公共施設・上下水道工事などなど、田舎の市ではありましたが、大きな建物の設計施工に携わりました。
街宣車に上ったかたと同じく夫も仕事に誇りを持っていました。私も夫が関わった建物を誇らしく見上げたものでした。

その建設で命取りになったアスベストを吸っていたということ、私は本当に辛く、悔しく思います。
でも夫は、アスベストを憎むという話はしませんでした。
誇りに思っていた仕事ですから、憎めば自分の半生までをも憎むことになると考えたのかどうか。そこまで話す人ではなかったので想像ですが。
街宣車の建設労働者のかたの話を聞きながら胸がいっぱいになり、涙が流れました。

ほとんどの人は歩くスピードさえ変えないで通り過ぎます。
せめて耳だけでも傾けてくれていることを願っていました。
私の持った書名板は10筆に足りない書名でしたが、私の前に足を止め、ペンを握ってくださった方々に感謝申し上げます。
がんばってくださいとお声掛けも頂きました。
今これを書きながら、また涙がこぼれ落ちました。

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2018
05.12

遺族の集い

きょうも亀戸でした。会報の発送作業を午前中で終わらせて、午後からは遺族の集まりでした。
「千葉の○○さんから出席の連絡があったですよ」
と聞いていました。私に会うのを楽しみにしていると言ってらっしゃるとも聞きました。
○○さん・・・聞き覚えのあるお名前ですが、はて、どこでお会いしたのか。
私に会うのを楽しみにということは、お会いしたのは1回や2回ではないということか・・・ごめんなさい、ひとの名前を覚えるのが本当に苦手で。
お会いして失礼があったらどうしようと心配になりました。

お会いして分かりました。
夫と二人で患者会に出席した時に、奥さまが一人でいらしていた○○さんでした。
確か、ご主人ともっと歩調を合わせたいと話されていたと思います。
携帯のアドレスを交換して、何回かメールのやり取りをしました。
それから数か月後に夫の病状が厳しくなり、○○さんも。

元気でお会いして、数年後には遺族として再会。これがこの病気なのです。
年々遺族が増えていきます。
17人の遺族が集まりました。初めてのかたも多く出席され、もっと自分のことを語りたかったでしょう。
時間が足りなくて不完全燃焼だったことでしょう。
他の人の話もゆっくり聞きたかった方もおいででしょう。
各地で小さなお茶会などしながら語り合う機会を持てたらいいなあ。
先日我が家を訪ねてくださって、5時間を超えるお喋りをしたご遺族のように、気軽にどうぞ。
といっても、誰もこのブログは見ていないと思うけど。

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なんの関係もないけれど ネギボウズ
土付きのネギを買って庭に埋けてたら 太く大きくなって 


さあさあ、いない間に郵便物が。点訳依頼です。
これから数時間がんばります。明後日までには何とかしたいです。

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2018
04.14

疲れたな、きょう用

きょう用の今日は、疲れたなぁと東京から帰って来ました。
患者会の発送作業。出席者が少なくて、封入するチラシはいっぱい。
お喋りしながらも黙々と手を動かしますが、動かせど動かせど先が見えてこないという状態です。
昼ごはんもそこそこに作業を進めて、3時を過ぎた頃に「ようやく先が見えてきたね」とホッとして、4時半作業終了でした。

外に出るとあやしげな黒い雲が。降らないうちに帰ろうかという空気でしたが、「きょうは疲れたね、甘いものでも食べていかない?」と誘い、同じ電車に乗る3人と甘味どころに入りました。
久しぶり、甘味どころ。写真撮れば良かった、美味しいわらびもち入りあんみつ。
ほぼ同年の3人、親の介護話に花が咲きました。もうじき100歳、99歳、80歳の女親が健在です。
それぞれ何かしら問題を抱えているのですが、話すことで気持ちが発散できたのではないかしら。

ヘビ苺

帰りは高速バス。ほぼ満席のバスは快調に飛ばして1時間半。
家に着いたのが8時半。新聞を読んで、ブログ訪問をしていたらこんな時間になりました。さあさ、もう寝ます。


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2018
04.12

きょう用、きょう行く

10年ぐらい前までは、一日が30時間あればいいのにと思っていたものです。
一日の全部を自分のためだけに使いたい、というのが夢でした。
今そういう日が続いているのに、夢だったはずの自分の時間を無駄遣いばかり。
きょうは「これをした」と言える日が少なくて、生きたかった人に申し訳ないと反省の毎日ですが、明日になると忘れてる。
「反省だけなら猿にもできる」ってね。(お猿さん可愛かったですね)

シロヤマブキ
シロヤマブキ

そんな毎日ですが、きょうは東京でした。患者と家族会関東支部の「患者会」でした。
内々の者たちのほうが多い集まりになっていますが、きょうは患者さんとその息子さんがお見えになりました。
健康診断で“肺の何か”と胸水が見つかって、検査入院され、退院したその足でお見えになりました。
生検の結果待ち、何をどう考えていいのか分からないというお二人でした。
名取医師からきちんとしたお話を頂けて、お二人は帰るときには表情が和らいでいたように見えました。

「きょう用、きょう行く」の日だったので、きょうは ○


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