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2019
10.28

闘わない

命日の昨日、外に出かけたので5年前のその日に気持ちが戻ることなく、いつのも1日でした。
広島の娘がその日を心配して電話をしてきましたが、出かける用事があると言ったら、そのほうが良いと喜んでくれました。
出かけたのは運転手を頼まれたからです。水戸医療センター内のがん患者会が主催する講演会でした。
「がんとの共生」がテーマで、患者・家族・遺族・医師・看護師・ソーシャルワーカー・・・内科医、緩和ケア医・認定看護師、診療看護師・・・そのほかいろんな分野の人々が集まりました。
心に残ったことは「がんは闘うものではない 治るか治らないかではなく、宥めすかして付き合っていくものだ」という言葉でした。

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どういうふうに生きたいかと、どういうふうに逝きたいかを考えた夫は偉かったと思います。診断を絶望で受け入れたのではなく、治らないならどう生きるかを早いうちに考えたようでした。それが、「動けるうちに遊ぶ」でした。
半年単位で考える余命と言われたので、半年を生き延びたら次の半年を遊ぶ、そうして1年間を遊び倒しました。私はハラハラでしたが、付き合いました。1年を少し過ぎたころ、体力の著しい低下を感じた夫は、次の半年が最後と覚悟をしたのでした。
「おれ、正月はない気がする」

止めます、止めます。昨日をせっかく普通に過ごしたのですから。一年に一遍の日が巡ってきた、それだけです。

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2019
10.14

グリーフ

自分の住んでいる地区は何事もなさそうなのでテレビをつけることもなく、避難準備品の片付けなどをしていたら、友だちから水戸も大変よとメールがきました。
でもテレビのニュースではやっていないので、Twitterで見ました。見慣れた風景が水の中。普段はのんびりゆったりした川があんな景色を作るとは。そういえば朝から消防車や救急車、ヘリコプターの音がにぎやかだなと思っていたのですが、自分が無事だったこともあって音は関心の外でした。冷たいものだな、と自分を振り返りました。

午後からは遺族のグリーフの集まりに行きました。今少し辛い時期なので行くのをためらいましたが、それだからこそ行こうと思い切りました。
私の番になった時に自分でも思っていなかったことが口から出ました。
「モルヒネの量の調節をし過ぎて、過量に投与してしまったかもしれない。消極的安楽死をさせてしまった。このことを自分を責める材料にしている自分です」
IMG_20191007_174949.jpgアドバイザーの看護協会の看護師さんがすかさず言います。
「中皮腫の苦しみを和らげてあげられたのですから、よかったのですよ。間違ってはいません。そのことを後悔の材料にすることだけはおやめくださいね」

唇を噛みながら聞きました。今すぐに受け入れられないけれど、繰り返し思い出して自分を納得させます。今はまだ、自分を責めている段階です。もう5年になろうとしているけれど。

散歩道の花に慰められる
刈田の二番穂 紫苑 水引草


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2019
10.09

看護記録

もう間もなく5年になります。
4年前の今頃は静かで辛い日を送っていました。
辛かった記憶はあるのですが、具体的な出来事はあまり覚えていません。
覚えていることも、時間の順序がぐちゃぐちゃです。何がどうなってこうなったか、ということが頭の中で整理されていません。

辛い後悔の中でもいちばん悔いることは、高カロリー輸液の点滴を受け入れたことです。
それをいつ受け入れたのか、その時夫は意思表示ができる状態だったのか、そのことの記憶が曖昧です。
夫は医師からの高カロリー輸液の提案に「うん」と言った、と私は思っているのですが自信がない。本当は、その時にもうすでに夫は意思表示ができなくて、私が代わりに「うん」と言ったのかもしれない。わからない・・・・・・
私の記憶が曖昧なのは、私が承諾しなければ、夫を痰で苦しめることはなかった、という後悔から自分を守るためかもしれない。

訪問診療所から看護記録を取り寄せることはできます。
このまま曖昧にしているのが辛いので、記録を請求しようと何度か思いました。けれど、夫ではなく私の承諾で点滴が始まったのだという、逃れられない事実を突きつけられるかもしれないのは辛い。
事実に向き合わず、記憶が曖昧だとかなんとか言い逃れしていたほうが........

看護記録を取り寄せて夫の闘病の日々が明らかになることで、私は安心を得るのか、さらに自分を責めることになるのか。
私にその事実を受け入れる心の準備はできているのか。

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2019
08.17

遺族の会

来週末にはもう一つ予定がありました。「青空の会」に参加します。
青空の会は癌遺族の会です。前から参加してみたいと思っていましたが、なかなか行ける日がなくて初参加です。

遺族の会に私は何を求めているんだろう、自分でもよく分かりません。行ってみて分かるかもしれないと思います。なにか誘われるものがあると感じています。
随分昔に、ある家族会の掲示板に参加したことがあります。そうしたら、「傷の舐めあい」と言われたことがあります。ひどく傷つきましたが、今なら言い返せる「舐めあえる相手がいるって幸せなことだよ」と。

この秋で4年を過ぎる遺族の暮らし。元気に前向きにしっかりと暮らしているように思われているかもしれない私。そうなのでしょう。時間や仲間が悲しみを癒してくれているのでしょう。でも、
・・・私、悲しみを思い切り悲しんだことがあったっけ?
この事を知りたい見つけたい私です。

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2019
08.10

お盆だから

きょうの新聞は分厚い。たくさんのチラシが折りこまれています。そうか、世間はお盆の準備をしているんだね。

お鈴「死んだら無だから、何もしなくていい」といった人の言葉通りの送り方をしたので、我が家には仏壇もお墓もありません。
とてもいい笑顔の写真と、素敵な音のするお鈴、かわいい蝋燭と、いい香りのお線香があるだけです。
そして大切なお骨がトンと置かれています。閉所が怖かった人をお墓になんか入れたくないのです。
「お墓に入れてやらなくちゃ、仏が浮かばれない」と初めてのお盆が近い時に、夫の友人は私をなじり席を蹴って立ちました。
このことは、夫と私が決めたことです。夫は私を責めはしないと思います、思うことにしてます。気持ちの持ちようです。

そういう私ですが、亡き友のお墓には近くを通れば立ち寄ります。手を合わせて挨拶をします。時には語りかけもします。
彩椛ママは「おとうさん・・・」と手を合わせる場所が欲しいと言いました。でもそう言ってるのは一人だけ。可哀そうだと思うけど、一代だけのお墓を作ってもと私は考えています。
私が死んだときに一緒に海に流してもらうのがいいなと思っています。

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2019
03.27

41回目の月命日

エール校正を一応仕上げて、夕方先輩に送ったから。
月命日だから。
ビールの賞味期限が近いから。

言い訳しなくたっていいよ、今夜も飲んだんでしょ。
はい、facebook上の友だちが乾杯しようというから。
まだ言い訳するか!
    写真は お借りしました

つまみになるものはないかと冷蔵庫。見つけました豆腐のみそ漬け。
兄のお土産でした。これも賞味期限が・・・でもとてもおいしかったわ。
故郷の生家近くにあった昔からの漬物屋さんだけど、おしゃれに変ったのね(故郷愛で宣伝を、株式会社菅野漬物食品)。

たまごや
これも お借りしました

それから、豚肉を簡単にソテーして、春キャベツの千切りそえて。
何もないとせん切りキャベツでも良くて、山盛り食べてくれた夫でした。細くほそく刻んだのを褒めてくれました。そんなのを褒められてもねと思いながら、けなされるよりは嬉しくて。
41回目の月命日はビールと千切りキャベツ!!

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2018
11.17

片づけ

家事を一通り終わらせてPCの前、お茶を飲みながら一巡して、いつもなら編み物を手に取るのだけど、きょうはふと魔がさして。
(こんなにいい天気の時にやらなくていつやる!?)と思ったのです。
物置にあるカヌーとキャンプ用品の点検のつもりでした。

キャンプ用品カヌーを最後に使ったのはいつだったか。亡くなる半年前だったと思います。
ちゃんと収納したのかどうか、ずっと気になっていました。お天気のいい時に一度広げなくてはと思っていました。
組み立て式のカヌーですが重いんです。20キロ以上はあるでしょうか、一人で引っ張り出すのは容易じゃない重さなので、そのうち、そのうちと後回しにしていました。
ーー 本当に重かった。腰が、足が、腕が、指が、痛タタです。
でもきれいにしまってあるのを確認して安心しました。

いちばん大変なのはキャンプ用品。いつの間にか買っていたという物もあって、笑っちゃう。ぎっしり詰まっていた物を全部外へ出しました。処分するものを選んで袋に入れたり、縛ったり。そのせいでばね指がパキン。結構ひどくてちょっと痛くて、作業を中断。

次は工具類。私には全部要らないものばかりだけれど、捨てるには惜しいものもあるので、夫の友だちに見てもらおうと 1か所にまとめました。

リール
最後は釣り用品。これもたくさんありました。やはり捨てるのは惜しいものばかり。誰かに使ってもらうのを待ちましょう。のっぽ孫が使うかもしれません。何度か一緒に釣りに行ってます。

最後の春に買ったリールと入漁券。
年券を買ったのに数回しか行けなかった
久慈川水系四時川。

捨ててもいいけど、とりあえず仕舞ったものもあります。纏めておいたので、ちょっと考えてから捨てることにします。
もうこんな大がかりな片づけは、この後はできないかもしれません。それほど疲れました。
体も辛かったけれど、気持ちも辛かった片づけでした。
懐かしさと、淋しさが一気に押し寄せてきました。

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2018
11.05

臨床宗教師

昨日の講演会は、グリーフ・ケアとはなんぞや、グリーフ・ケアを世間に知ってもらおうというという講座だったのかな。
始まりの講座というところでした。正直言ってちょっと期待外れ。
でも、こういう事から物事は始まるんですから、そんなこと言いっこなしね。

収穫だったことは、医師から見たグリーフ・ケアについての講演が期待通り(?)だったこと。
講演者の医師は特に外科医だったからということもあって、グリーフ・ケアなんて考えたことがなかった、と正直な話をしました。ケアしたと言えば、それは後輩の医師に対してだそうです。例えば手術の結果がうまくいかなくて落ち込んでいる医師、責任を感じ悩んでいる医師などに対するケアはその時々にしていた、という話ですよ。患者・家族・遺族の精神面への視線は感じられないです。
そうは言うものの、この医師は、講演をするにあたってグリーフ・ケアを勉強したこでしょうから、それをこれからに活かして欲しいと思います(上から目線の物言いですが、このかたは某大学の副学長です。すみません素人が)。

もう一つの収穫は、「臨床宗教師」の話が聞けたことです。
臨床宗教師ってご存知ですか?
クローズアップ現代
”穏やかな死”を迎えたい ~医療と宗教 新たな試み
YAHOO!ニュース
「死への恐怖」にどう向き合うーー死期迫る人に寄り添う臨床宗教師

よくできていると思いますので、ご覧になってください。
(いつかは消えてしまうサイトかもしれないので私はWordにコピーしました)

講演会のディスカッションの時間は、みんなが書いた一言メモに沿って講演者が答えるという形式でした。
これはどうでもいいことですが、私のメモも司会の中井美穂さんが読み上げました。さすがアナウンサー、講演者の話を引き出し、まとめる技術にうならされました。

臨床宗教師、いつでもどこでも会いたければ会えるように、早くなって欲しいです。
台湾では、患者の最後の主治医はお坊さんだというようなことを、どこかで見ました。
欧米でいうところの「チャプレン」が臨床宗教師ですね。日本にも根付いて欲しいと強く思います。
患者だけでなく、家族も遺族も聞いて欲しいことがたくさんあります。このことはまた、いずれ書きたいと思います。

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2018
10.12

止め時

昨日お会いしたAさんは、3~4回の開腹手術。抗がん剤、治験による凄まじい副作用、ストーマの設置・・・などなど、想像を絶する7年だったようです。
死ぬわけにはいかない、治るんだ治すんだと突き進んできたのでしょう。その結果が医師からの言葉「もうややるべきことがない」。
おそらく私のこんなブログは読むことはないでしょうから、書くのですが、「緩和ケアを探しなさい」と言われるまで戦い続けたことは、Aさんの辛い時間をもっと辛いものにしてしまったのではないでしょうか。

夫のセカンド医名取医師は、夫の人となりを探る会話のあとの早い時期に、抗がん剤の止め時の話をされました。
元気で好きなことができる時間を大事にしていくためには、決断の時があると。

私はそのことがとても大切なことだったと、夫のそばにいて感じました。
遊んで、遊んで、好きなものを食べて飲んで、気ままに暮らして、「俺は好きなようにさせてもらった。もっとやりたいこともあるけれど、これくらい自由にしたんだから・・・」と言いました。

残った者はああも、こうもと悔やむことばかりだけれど、夫のこの言葉を思い出せば救われる思いになります。
気の利いた別れの言葉が無かったことを不満に思うこともある私ですが、こんなありがたいことを言ってくれたこと・・・もう何も言えません。

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2018
09.14

「いない」ときに「いる」

以前に紹介した幡野広志さんがFacebookに、糸井重里さんと対談した記事を載せていました。
「これからのぼくに、できること」 “死”についての話です。
糸井さんの『ほぼ日刊イトイ新聞』に掲載されたものらしいです。

なかで私が書きとめたものは。

ぼくにとって、犬(ブイヨン)と歩いた散歩道は
いま、ぜんぶが「犬のいない道」なんです。
でも、ぼくがそこに空白を感じているあいだ、
犬が「いない」と思っているあいだ、
犬はずっと「いる」んですよ。
だからうちの犬は、
いまでもぼくと一緒に歩いてますよ。


「犬」を夫の名に置き換えて読みます。すると気持ちがスッと中に入り込むのです。

そこに空白を感じているから私はいつでも夫を感じることができる。
「いない」と思う時こそ、そこにいる・・・慰められる言葉です。

夫のFacebookに今年も誕生日のメッセージが届いていました。
みんなの心に生きていられる夫は幸せ者なのでしょうね。

『ほぼ日』は以前は読んでいましたが、夫の病気の頃から読む時間が無くなってしまいました。内容が豊富過ぎますから。
これも何かの縁と、また読むことにしましょう。なかなか面白いサイトですよね。

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