2018
06.19

尼崎集会

今週末は2泊で尼崎に行きます。
1日目は「アスベスト被害の救済と根絶をめざす 尼崎集会」に参加します。“クボタショック”から13年。
私は初参加です。

日時:6月23日(土) 午後1時から4時45分
場所: 尼崎市中小企業センター(阪神尼崎駅近く)
参加費無料

初参加なので詳しくは分かりませんが、講演・報告・写真展などとチラシに書いてあります。終了後は、おそらく懇親会。
2日目は患者と家族の会総会。関東世話人になったので、こちらも初参加。
午後からと次の日のお昼までが予定なし。午後に叔母に会いに武庫川へ。夕方の新幹線で帰ります。

きょうは最寄駅に行って切符を求めてきました。
いつもは行き当たりばったりが多いのですが、今回は他の世話人と新幹線ホームで待ち合わせているから、予め往復の切符を用意しましたよ。
あまり用意周到だと、かえって何かハプニングが起きそうで心配なんですけど。

きっぷ

“クボタショック”のあとの2006年発行の『明日をください』を読んで知識を蓄えています。

アスベスト問題に取り組んできた人々を紹介したい。20数年前からアスベストに立ち向かってきた横須賀の労働者。アスベスト被害を掘り起し患者と家族のネットワークをひろげてきた「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」。そして、クボタ・ショックを引き出した人々の記録である。  写真・文 今井 明

夫が罹患するまで、全く他人事だったアスベストのこと。  
未だに分からないアスベスト問題の底しれぬ不気味さ。

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2018
06.17

ピア・サポート講座

ピア・サポート講座、北海道の北星学園教授・大島寿美子先生の講義を受けました。
ピアサポートとは(資料から)、

当事者が互いに支え合いながら、それぞれが自分なりのやり方で問題に対処していく力をつけること

そして成長していくこと。
 ・体験したからこそ分かり合える共感。
 ・体験を通して得た情報や対処の仕方や知識。
 ・互いに支援し合う関係。
 ・同じ体験をしたひとの言動をみて手本にしたり、自分が手本になる。
活動の中心は、「話すことと聞くこと」。
話すことで、
 ・思いを外に出す
 ・気持を整理する 
 ・経験を解釈し直す
<話すことは「放す」こと>
聞くことで、
 ・相手との共通点に共感する
 ・違いや多様性に気づく
 ・新たな知識を見出す
<聞くことは「放されたこと」を受け止めること>
と私はメモしました。

ピア・サポートにはコミュニケーション能力が問われます。
 ・人を「尊重」すること。自分も相手も尊重しながら率直に表現する。
 ・「私」メッセージで話す。こう聞いたではなく、こう思う。
 ・心をこめて聞く。
 ・人が持つ力を信じる。
「自分を語る」ために、体験を文章に起こすことが二日目の課題でした。
夫の闘病の記録を時系列に沿って、その時の気持ちを加えながら、原稿用紙3000字。
先生の添削を受けた後、みんなの前で読みました。
受講者6名、みなさんとても素晴らしい発表です。
「すばらしい。よく書けてますよ」と先生は肩を抱いてくださいました。


IMGP5516.jpg


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2018
06.14

ピア・サポート講座

今回の上京はピア・サポート講座を受講することが目的です。
講師は、患者会とも長い付き合いのある、北星学園教授・大島寿美子先生です。

出席者の自己紹介のあと、いきなりテストから始まりました。ひえー、聞いてないわ、などざわざわの中、真剣に回答。
○✕式でしたが、どうして○と思ったかなど、考えを述べることのほうが目的のようです。
一人一人の考えを否定することなく導き出し、肉付けする。さすがの手法に唸りました。

明日の講座の目的は
がん患者・体験者や家族が、自分の体験を整理し、人に伝える方法を学ぶ

原稿用紙4~5枚にまとめ、語りとして発表するために、体験を時系列にまとめる宿題が出されました。
ああ、それなのにおっちょこちょいの私は、同宿者と食事に行った帰りに、エントランスの自販機でビールなんか買ってしまって、酔ってます。
明朝はどうせ早く目覚めるのだから、追い詰められた子どもみたいに、朝に宿題をこなすことにして、こんやも早寝をすることにします。

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2018
06.08

街頭署名

大きな大きな喜びがありました。
私のブログを見たかたが、署名を集めるために街頭に立ってくださったのです。
詳しく書かれるのはお嫌だろうと思うので、ここまでにします。
なんとお礼を申し上げれば良いか。
のんびり本なんか読んでいた自分が恥ずかしい。

IMGP5497.jpg見ず知らずの他人のために街頭に立ってくださった、大きな愛に感謝申し上げます。
おいしいものを食べて体力回復なさってくださいね。
くれぐれもお大事になさってください。

明日は会報発送作業で亀戸です。
みんなに嬉しい報告ができます。


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2018
06.03

大宣伝行動

5月31日、上京して映画を観た翌日6月1日は、中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会が例年行っている省庁交渉と、それに先立つ院内集会のお手伝いでした。
参加者の交通・宿泊費の精算業務で、お金を扱う仕事だったのでちょっと緊張しましたが、二人一組で行い過不足なく〆ることができ(と思います)てホッとしました。

そしてさらに翌日の昨日は、新宿駅西口での大宣伝行動に初参加。
大勢の参加者がチラシや書名板を下げて1時間、通行の人々に建設アスベストの支援をお願いしました。
街宣車の上に立った人の訴えに、
「この新宿など、立派なビルは自分たちが建てたのだという誇りを持っています」
と語ってらっしゃいました

夫も、ショッピングビル・病院・学校・公共施設・上下水道工事などなど、田舎の市ではありましたが、大きな建物の設計施工に携わりました。
街宣車に上ったかたと同じく夫も仕事に誇りを持っていました。私も夫が関わった建物を誇らしく見上げたものでした。

その建設で命取りになったアスベストを吸っていたということ、私は本当に辛く、悔しく思います。
でも夫は、アスベストを憎むという話はしませんでした。
誇りに思っていた仕事ですから、憎めば自分の半生までをも憎むことになると考えたのかどうか。そこまで話す人ではなかったので想像ですが。
街宣車の建設労働者のかたの話を聞きながら胸がいっぱいになり、涙が流れました。

ほとんどの人は歩くスピードさえ変えないで通り過ぎます。
せめて耳だけでも傾けてくれていることを願っていました。
私の持った書名板は10筆に足りない書名でしたが、私の前に足を止め、ペンを握ってくださった方々に感謝申し上げます。
がんばってくださいとお声掛けも頂きました。
今これを書きながら、また涙がこぼれ落ちました。

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2018
05.12

遺族の集い

きょうも亀戸でした。会報の発送作業を午前中で終わらせて、午後からは遺族の集まりでした。
「千葉の○○さんから出席の連絡があったですよ」
と聞いていました。私に会うのを楽しみにしていると言ってらっしゃるとも聞きました。
○○さん・・・聞き覚えのあるお名前ですが、はて、どこでお会いしたのか。
私に会うのを楽しみにということは、お会いしたのは1回や2回ではないということか・・・ごめんなさい、ひとの名前を覚えるのが本当に苦手で。
お会いして失礼があったらどうしようと心配になりました。

お会いして分かりました。
夫と二人で患者会に出席した時に、奥さまが一人でいらしていた○○さんでした。
確か、ご主人ともっと歩調を合わせたいと話されていたと思います。
携帯のアドレスを交換して、何回かメールのやり取りをしました。
それから数か月後に夫の病状が厳しくなり、○○さんも。

元気でお会いして、数年後には遺族として再会。これがこの病気なのです。
年々遺族が増えていきます。
17人の遺族が集まりました。初めてのかたも多く出席され、もっと自分のことを語りたかったでしょう。
時間が足りなくて不完全燃焼だったことでしょう。
他の人の話もゆっくり聞きたかった方もおいででしょう。
各地で小さなお茶会などしながら語り合う機会を持てたらいいなあ。
先日我が家を訪ねてくださって、5時間を超えるお喋りをしたご遺族のように、気軽にどうぞ。
といっても、誰もこのブログは見ていないと思うけど。

IMGP5389.jpg
なんの関係もないけれど ネギボウズ
土付きのネギを買って庭に埋けてたら 太く大きくなって 


さあさあ、いない間に郵便物が。点訳依頼です。
これから数時間がんばります。明後日までには何とかしたいです。

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2018
04.24

要介護認定を早期に

Category: 介護
癌と診断されたら緩和ケア、と昨日書きましたが、もう一つ夫の看護から学んだことがあります。
要介護認定を早くに受けるべきだということです。

夫が中皮腫と診断されたのは2014年1月、63歳6か月の時。
そして8月には、私が一人で緩和ケア外来で面談を受けました。
それから7か月後2015年4月、緩和ケア外来で痛み止めの処方を受けることにしました。

その3か月後65歳になった時に、要介護認定の手続きをしました。
夫は車中泊などしながら釣りに行くくらい元気でしたが、息切れが目立ってきました。
夫はすんなりと認定調査を受けてくれました。
見た目ではとても病人に見えない夫だし、質問にもオチャラケながら答えていたし、認定は無理かな。
そこで私は中皮腫の特異性を強調して話しました。徐々に悪くなるのではなく、ある日を境に突然介護が必要になる病気なのだと、調査員に分かってもらえるように必死で説明しました。

結果、2週間後、要介護2の決定通知を受けたのです。早い決定でした。
介護ステーションとの契約、介護用品のレンタル契約など、嫌になるほど書類を書きました。
夫が元気だったからできたと思います。もし夫の状態が良くなかったら、夫を置いてあちこち飛び回ったり、書類に目を通す余裕はあっただろうか。
早いうちに手続きを済ませたことで、その後の介護が心配なく始められました。

クレマチス
クレマチスがほころびましたが 夜になって結構な雨です
だいじょうぶかしら 

「近赤外光線免疫治療法」
先日ラジオで聞きました。こんなサイトを見つけましたので貼り付けます。
良い事尽くめの新しいがん治療法。癌の世界を変える治療になって欲しい。


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2018
04.23

緩和ケアを知ること

Category: 緩和ケア
「癌と診断されたら、緩和ケア」と言われていますが、どのくらいの人がそうしているでしょうか。
「緩和ケア」イコール終末期という思い込みが、世間の常識から無くなる日は近いでしょうか。

夫の抗がん剤治療4クール終了時の面談で、とりあえずしばらくは休薬するので退院と言われました。
その時に私たちは緩和ケアのことを主治医に聞きました。
「いやあ、まだまだ早いですよ」と主治医。
その時はそれでも、と言い張ることができず引き下がったのでした。それが診断後4か月の時。

その時から更に3か月後の8月末、私は一人で緩和ケア外来を訪ねました。
その時のことを書きましたが、それにコメントくださった芹香さんのご主人の病院がすばらしい。

入院当初から精神科の先生や看護師さんが
頻繁に病室へ訪れて下さいました。
(私は当初誤解していて、ひどく混乱してしまいました^^;)
おかげさまで、痛みのコントロールがうまくいき
QOLも格段に改善しました。


私が求めていたのは正にこの事。
診断され何をどうしていいのか分からない時に、支えてくれる人がいたら、病人だけでなく家族もどんなに心強いことか。
一人じゃないと思うことは大事なことです。病気に立ち向かう気力が湧いてきます。
専門家が支えてくれるのですから。

ミヤコワスレ
ミヤコワスレ

夫の病気を通じて私がひとさまに伝えたいことの一つが、
「緩和ケア」のことをもっと知って、誤解しないでということです。
 

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2018
04.22

主治医とセカンド医

Category: 中皮腫のこと
夫が中皮腫と分かった時、情報を探してWEBの森を彷徨いましたが、そこに見える光は暗く案内人の姿は定かではありませんでした。
それなのに、主治医の説明はWEBで得た情報域から出ることはなく、逆に私たちの質問に「その情報は不勉強で」という始末。
この人はたった一つの標準治療以外に知ることはないのかもと、多くを期待するのを止めました。
転院も考えましたが、夫は「使える抗がん剤は一つしかないんだから、どこの病院へ行ったってやることは一緒だよ。それなら近いほうがいい」と言いました。

私たちは東京・亀戸の名取医師に意見を求めました。
おそらく日本で一番中皮腫に詳しいのではないでしょうか。
多くの患者に接しているし、病気の進行と死を見ていると思います。
その先生に「包み隠さず教えて欲しい」と夫は自分の病気の説明を求め、1年の間に3回先生の診察室を訪ねました。
名取先生からは病気と向き合うために必要な情報と励ましをいただき、夫は安らぎを得ていたように思います。
うわべの励ましでないことが夫の気持ちとマッチしたのでしょう。

P_20180415_110520.jpg亡くなる4か月前、名古屋行きの新幹線の中で具合が悪くなり、お医者様を探してもらう事態が起きました。
その名古屋からの帰りに行った亀戸が最後の診察になりました。
列車内の出来事を話すと名取先生は、
「とても残念ですが、そういうことなのです。このままだと、いつまた同じことが起きるか分からないです。酸素をうまく使って楽な生活をしましょうよ」と。

それまでは内科と緩和ケアとを並行して受診していましたが、それからは内科受診を止めました。
そしてこの時から本格的に痛み緩和の治療が始まったのでした。


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2018
04.14

疲れたな、きょう用

きょう用の今日は、疲れたなぁと東京から帰って来ました。
患者会の発送作業。出席者が少なくて、封入するチラシはいっぱい。
お喋りしながらも黙々と手を動かしますが、動かせど動かせど先が見えてこないという状態です。
昼ごはんもそこそこに作業を進めて、3時を過ぎた頃に「ようやく先が見えてきたね」とホッとして、4時半作業終了でした。

外に出るとあやしげな黒い雲が。降らないうちに帰ろうかという空気でしたが、「きょうは疲れたね、甘いものでも食べていかない?」と誘い、同じ電車に乗る3人と甘味どころに入りました。
久しぶり、甘味どころ。写真撮れば良かった、美味しいわらびもち入りあんみつ。
ほぼ同年の3人、親の介護話に花が咲きました。もうじき100歳、99歳、80歳の女親が健在です。
それぞれ何かしら問題を抱えているのですが、話すことで気持ちが発散できたのではないかしら。

ヘビ苺

帰りは高速バス。ほぼ満席のバスは快調に飛ばして1時間半。
家に着いたのが8時半。新聞を読んで、ブログ訪問をしていたらこんな時間になりました。さあさ、もう寝ます。


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