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2020
06.27

クボタショックから15年

「クボタショック」ってご存じですか。
Wikipediaクボタショックから。

2005年6月29日に毎日新聞が兵庫県尼崎市の大手機械メーカー・クボタの旧神崎工場の周辺住民にアスベスト(石綿)疾患が発生していると報道したことを契機として、社会的なアスベスト健康被害の問題が急浮上してきた現象である。


毎年この時期には尼崎で集会が持たれてきましたが、今年は新型コロナの影響で開催が見送られました。
代わりに尼崎のみなさんが企画してYouTubeで「クボタショックから15年 アスベスト被害の救済と根絶をめざす尼崎アピール行動」が配信されました。


1時間半と長いですが、良い企画だと思います。お時間のある時に少しでもご覧いただければ嬉しいです。

大勢が集まっての集会の熱気もすごいですが、この映像、傍で私に向かって話してくれているようで、こちらも良かったです。
見知った方々のお顔が次々登場するので、会場にいるみたいに拍手を送りました。胸が詰まり涙ぐみました。

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2020
05.23

LEIC その後

Category: 臨床試験
中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会 尼崎支部が発行している「尼りかん」という会報が送られてきました。大事なニュースや体験談などの中で私の目をひいたのは「治験(LEIC遺伝子治療)に参加」の文字でした。
LEICはまだ治験中だったのか、と思いました。

夫がLEIC治験を受けるための検査で岡山に行ったのは2014年8月下旬。
その後治験の予定日9月を待っていた8月末日、突然岡山大から治験延期の電話があって、私は少なからず動揺したのでした。
そして9か月後の2015年5月、治験再開の知らせが大学からあった時には、夫はもう治験対象になれる病態ではなくなっていました。
治験てね、「3か月以上の生存が見込まれる患者」が対象なのです。

2015年から始まった治験ですが、2019年2月で終了したと体験談には書いてありました。奏効率が良くなかったようです。
何相まで進んでいたのでしょう。夫が受けていれば第1相の2番目の患者だったようです(この間のことはカテゴリ「臨床試験」に入れてあります)。

この方の情報によれば、LEICとオプジーボ併用の治験第2相がアメリカで始まっているそうです。
治験を経なければ薬はできないのです。
夫は、自分は治らないだろうけれど、誰かが第1相に参加しなければ2相、3相もないのだからと淡々としていました。私は参加できるなら奏功して欲しいとひそかに願っていたのでした。
そんな当時の気持ちを思い出して、きょうは少し胸が痛い日でした。

ヘビイチゴ

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2020
04.26

はしゃぐ風

お茶 暖かい日だったので外でお茶をしました。
椅子はキャンプ用。適当なテーブルがないので、折りたたみの椅子を代用しました。
4分咲きぐらいのモッコウバラともう少しで咲きそうな野ばらがある場所です。
風が一瞬強く吹きました。(おとうさん・・・)
夫が亡くなった時に強い風が吹きました。
夫はモンゴルの風がいたく気に入っていました。馬で草原を散歩している時、「音もなく風が吹いてきて、耳元で『ピーッ』っと笛を吹きながら過ぎていく」とモンゴルの風を表現していました。

夫は、モンゴルの草原の風になって行ってしまったんだと私は思いました。そんなふうに思いたかったのでした。
はしゃいだような風が吹くと、「だぁの風だ」と彩椛は言いました。娘と涙ぐんだものでした。
きょう、はしゃいだ暖かい風に夫を思いました。
連休間近なこの時期に、ソワソワと釣りの道具を揃えたり、キャンプの準備をする夫の姿はもう見ることはないんだと思ったら鼻の奥が痛くなって・・・

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2020
04.07

今日の電話

今日も心配していた友だちから電話がありました。
昨日の友だちも今日の友だちも実は患者会で知り合った人で、ご主人を中皮腫で亡くされています。
昨日の友はご主人を亡くされて2年後に自身が白血病に。
今日の友も2年後でしょうか3年でしょうか、先日、隣からの出火で家が全焼してしまったのです。
近くに住む家族会の人達がお見舞いに行ってくれました。私たちは落ち着いたら伺おうと言付けだけを頼みました。そしたらコロナで家族会の集まりも無くなり、外出も控えなければならなくなってしまいました。
ご主人は音楽を愛するギターマンでした。火事を聞いていちばんに思ったのは彼のギターはどうなった、でした。
命からがら焼け出されたと聞きました。思い出の品々は全て焼けてしまったのです。

人生、何が起こるか・・・彼女たちの身になぜこんなことが・・・悔しいです。
「命が助かっただけでも」という友は、コロナが収まったら笑って会おうね、と言って電話を切りました。


七夕会やクリスマス会のとき
必ずご夫婦で歌ってくれましたね

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2020
03.02

在宅医療PA

Category: 介護
昨日は早く起きて 目撃!にっぽん「りなの看取(みと)り~命と向き合う若者たち~ を見ました。
やまと診療所(https://yamato-clinic.org/)が行っている訪問診療はPAという若い人が患者に寄り添っています。

――やまと診療所では、「在宅医療PA(Physician Assistant)」という仕組みを導入されているのが特徴です。どのような仕組みでしょうか。

 PAは公的な医療資格ではなくて、当院が独自に養成している職種で、(1)意思決定支援・環境調整、(2)医師のアシスト業務――を行っています。現在は32人います。


患者を支え、家族を支える。こういう人が私たちのそばにいたなら、夫の最後に後悔が残ることは少なかっただろうと思いながら見ました。
夫の訪問診療を受けた時の思いが、後悔とともに湧いてきます。

今回は見た、考えたということで終わりますが、そのうちに思いをまとめてみようと思います。

スイセン
水仙が ひらきました
きょうは さむい冷たい雨だったけれど 
明日は 一斉に 花がひらくでしょう

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2020
02.09

人生会議

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「大切な人を亡くした家族の会」 設立時の手伝いをした関係で、時々出席しています。
きょうは、アドバイザーから“人生会議”の話が出たところで、延命治療拒否に話が移りました。
近頃の私は聞く側に回っていたのですが、その話題が出たところで発言しました。
「延命治療拒否というだけでは不足だと思うんです。して欲しくない治療を具体的に調べておかなければ、いざというときに考えがまとまらなくて、私のように後悔をし続けることになります」
夫の看護で、高カロリー輸液の提案を拒否しなかったことの後悔を持ち続けています。

「自分を責めないで、ご主人はきっとわかってくれてますよ。今は後悔していることも、その時にはそう判断したことが最良だったんですよ」
わかってます、そう思う日が来るかもしれません。分かってるつもりです。でもどうおっしゃっていただいても、この後悔は容易には消えないのです。
Oさんの気持ちはとてもありがたくいただきました。ご自分もお辛いご主人との別れをなさっているのに。
じっと私の目を見て話してくださったOさん、やさしさに胸がいっぱいです。ありがとうございます。
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2020
01.23

できることはあるのか

久しぶりに患者と家族の会のことを。

組織が一つにまとまるのはなかなか難しいもののようです。
患者さんの支援だけに留まらずに、各方面への働きかけが増えていくと、意見は人の数と同じように増えていくのです。

アスベスト疾患は、胸膜中皮腫・腹膜中皮腫・心膜中皮腫・精巣漿膜中皮腫・石綿による肺がん・石綿肺及びびまん性胸膜肥厚・・・
病名ごとに患者の悩みも、求めるものも違う。患者だけでなく周りにいる家族の悩みと求めるもの、遺族となった家族の悩みと求めるもの・・・
それぞれに寄り添ってなお、不満が無くなることはない。
患者会の世話人として、私ができることは何だろうとずっと考えているけれど、思いはまとまらない。私が活動できるこれからの時間は長くなく、必要として呼ばれる時も同じでしょう。
「俺には時間がないけれど、あんたならできる」と言って逝った夫の言葉に、どう応えたらいいのか。

私は昔からグループをリードできるタイプではありませんでした。そういう手腕が備わっていない。人のあとについて、できることを黙々とこなすのが性に合っています。
が、待っていたのでは時間ばかりが過ぎていくと、焦りに駆られます。
あの世で再会できるとして、その時夫に「私、やったよ!」と言えることって何だろうか。

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葉が枯れてしまって 諦めたアンスリウム 
復活

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2020
01.05

復活

一昨日の義弟との遭遇は思った以上にショックが大きくて、自分を持て余していました。
逝ってしまったことが信じられないなんてのでは勿論なく、もう4年が過ぎているのに、なんでそんなことを思ったのか、不思議なのです。
そこに立っていたのです。ほんの一瞬間ですが、いたのです。いたと思って頭がボーっとしてしまったのです。すぐに我に返りましたが・・・

一昨日から今日にかけて、きちんと日常を送ってはいましたが、気弱になっていました。
自分を持て余していたということです。じわじわとにじみ出る涙を拭い、鼻水をすすり上げて。
でもたぶん、いつもの自分に戻れたと思います、大丈夫私は。

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一昨日よりさらに距離を伸ばして歩きました
楽しい予感の年明けだったんだもの
鍛えなくちゃ

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2019
12.09

抗議

患者と家族の会の会員さんが数年前に提出した労災申請が不認定となっていました。
この方がこのたび認定される運びとなり労働局へ行くので、同席してほしいと事務局から依頼がありました。
詳しいことを知らないまま、この会員さんの側に着いていればいいのかぐらいの気持ちで出かけたのですが、大違い。緊張する会見でした。

労災認定医のレントゲン読影が間違っていたことが、別の医師の読影から分かって、不認定が覆されたのです。この事は、この会員さんだけに止まらない大きな問題を含んでいるのだというのです。
謝罪と再発防止のための複数の提案を申し入れました。
患者会の事務局員がしっかり抗議し、話しを進め、詰めるところを詰め、会員さんも自分の思いを伝えたので、これで・・・と思っていたら事務局員が私を見て、「何かありませんか」というのです。「ありません」というのも芸がないので、それまでのやり取りを聞いて思ったことを少し話しました。緊張・・・何をいったか覚えていない。

労働局を出た後は県庁の記者クラブに向かいました。
この事でマスコミの取材を受けていたのです。
こちらは私はただ座っているだけで済みましたが、たくさんの記者さんのフラッシュ、NHKテレビ。私は写っていないものの、緊張して座っていました。おーつかれました。

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2019
10.28

闘わない

命日の昨日、外に出かけたので5年前のその日に気持ちが戻ることなく、いつのも1日でした。
広島の娘がその日を心配して電話をしてきましたが、出かける用事があると言ったら、そのほうが良いと喜んでくれました。
出かけたのは運転手を頼まれたからです。水戸医療センター内のがん患者会が主催する講演会でした。
「がんとの共生」がテーマで、患者・家族・遺族・医師・看護師・ソーシャルワーカー・・・内科医、緩和ケア医・認定看護師、診療看護師・・・そのほかいろんな分野の人々が集まりました。
心に残ったことは「がんは闘うものではない 治るか治らないかではなく、宥めすかして付き合っていくものだ」という言葉でした。

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どういうふうに生きたいかと、どういうふうに逝きたいかを考えた夫は偉かったと思います。診断を絶望で受け入れたのではなく、治らないならどう生きるかを早いうちに考えたようでした。それが、「動けるうちに遊ぶ」でした。
半年単位で考える余命と言われたので、半年を生き延びたら次の半年を遊ぶ、そうして1年間を遊び倒しました。私はハラハラでしたが、付き合いました。1年を少し過ぎたころ、体力の著しい低下を感じた夫は、次の半年が最後と覚悟をしたのでした。
「おれ、正月はない気がする」

止めます、止めます。昨日をせっかく普通に過ごしたのですから。一年に一遍の日が巡ってきた、それだけです。

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