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2018
07.01

あまや座

あまや座3『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』を見たらいいよと薦められていました。
グズグズしていて見逃しては損だわと昨日調べたら、県内でただ1か所上映、しかも7月1日上映後トークイベントと書いてありました。

計画性のなさはいつものこと。
さっそくきょう出かけました。
場所は隣町、家から車で30分弱の場所です。
「あまや座」というミニシアターで、昨年10月にオープンしたばかり。

4月に『ニッポン国VS泉南石綿村』を千葉県の柏まで見に行ったのですが、あとで県内の劇場でも見られることが分かって、がっかりしたのでした。大きな劇場にかかるような映画じゃないのに、小さな田舎の映画館が頑張ってるな、とその時に思いましたが、その映画館でした。
開館にこぎつけるまでにはいろいろ苦労があったようです。
上映スケジュールを見て、7月下旬に見たい映画を2本見つけました。1本はポレポレで予告編を見た映画です。
こういう映画館に頑張って欲しいと思います。

あまや座
あまや座2

座席数31の小さな映画館です。
4列目が最後尾。満席でした。人の頭が邪魔しない良い席に座れました。

映画の話? 
韓国に住んでいても語られることの少ない光州事件。これに人間的な味付けと、少しのアクションを絡ませた映画というのが私の感想です。
隣国のことなのに、こんな激しい、痛ましい民主化運動があったことに無関心でいた自分です。

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2018
06.28

JR尼崎駅付近

尼崎三日目は、午後から叔母の所へ行き、夕方の新幹線で帰ります。

水あめ10時少し前チェックアウト。とりあえず阪神尼崎駅へ。叔母へのお土産と自分へのお土産を駅ビルで見て歩きました。
食べて無くなるもの、日持ちのするものなどと考えて、水あめなどを選びました。
水あめといえば、金沢・飴の俵屋の水あめを舐めたことを思い出しました。父方の祖母は金沢の出身。
金沢じゃないけれど、叔母も水あめは懐かしいんじゃないかと思ったものですから。

お土産は買った、まだ時間がある、どうしよう。そうだ、クボタショックの地、クボタの付近を少し歩いてみよう。
クボタはJR尼崎駅の北側です。阪急尼崎付近よりは古い家並みの町のようです。
真夏の日差しの中、向かったのは尼崎の事務所。事務所にちょっとご挨拶をして、クボタ周辺の説明をしていただきました。クボタは線路の向こう側2~300メートル先。
事務所付近も古い家やアパートが見られます。先日の地震で立ち入り禁止の赤い紙が貼られたアパートがありますが、移ることが容易でない世帯がまだ暮らしているという話でした。
現地に行って、見て、歩いて、確かにここが「尼崎」なんだと、行かなければ分からないクボタの空気を感じることができたと思います。

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叔母は元気でした。ちょうど1年前に訪ねています。今回は私の名前は出てきませんでした。が、名乗ってからは分かってくれたと思います。
私の母のこと、従兄姉のことなど話は通じるのですが、あやふやなところもあって、弾んだ会話は難しくなっていました。
新しい記憶が頭に残らないようです。叔父が亡くなったこともどうやらあやふやかもしれません。
去年私が訪ねた記憶もないようです。今回の訪問も、明日になったら記憶から無くなってしまうのかもしれません。
「遠い所よく来てくれました、ありがとう」と笑顔でお話できたこと、それだけでいいんですよ。
「また来年、同じ時期におじゃましますね」

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2018
06.27

藤本義一記念館

尼崎二日目午前中で総会が終わり、みんなは新大阪駅に、私は予定はないのでホテルに戻ろうかと思っていたら、見知った人たちがスマホで何か調べているところでした。
聞けば、これから「藤本義一記念館」に行くところのようです。
「ご一緒させてください」
藤本義一さんは2012年、中皮腫でお亡くなりになっています。お嬢さんが家族会の会員です。

義一
義一2

夏のような日差しの芦屋の街中から、急カーブが続く山道をバスで行くと、緑濃い別荘地の中に記念館はありました。
書斎の机の上には使い込んだモンブラン、魚の文鎮、缶ピース。椅子の背にはガウン。
万年筆が好きな私は幾本もあるモンブランと、義一さんの筆跡、少年時代の日記の文字に興味を持ちました。
書庫に整理されているスクラップブックも見せてもらいました。
義一さんのお父上は、息子の名が出ている記事を切り抜き、丁寧に、本当に丁寧にスクラップされていたのでした。
表紙が見覚えのある赤地のもので、その時代私も使っていたと思います。懐かしい。
父の愛が伝わってくる大量のスクラップでした。

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2018
06.25

新幹線車中から

名古屋に停車しています。
名古屋は私たちには思い出深い場所です。
これから東京に向かって、浜松、静岡と新幹線の景色から思いだすこともいくつかあります。

チケットレスの特急券は希望の列車、座席も取れ、我が家へは21時には着くと思います。
3日間の話は明日にでも。帰ったらできるだけみなさんのブログにおじゃまします。


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2018
05.31

東中野

新宿歌舞伎町のホテルにチェックイン。
きょうは、亡き友人の息子がやっている東中野のダイニングバーで食事。
その前は、ポレポレで映画を2本。
重いドキュメンタリーでした。

明日は一日中おいそがしの予定です。

どうでもいいことですが、東中野のお店のすぐ前で、ロケ中のTOKIOの松岡くんに会いました。


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2018
05.21

秘密基地

西郷ダムの管理人S木さんに初めて会った時の、不機嫌そうで疑い深そうな目を何年経っても思い出すことができます。
どこの馬の骨かわからない者が、愛するダム湖でキャンプしたいと言ってきて、それを所長が認めてしまった。
どんな奴らか。時折現れる釣り人や、山菜取りの奴らと大して違いはあるまい、と思っていたのでしょう(S木さんは水戸ナンバーの釣り人と山菜取りの人を毛嫌いしているのをあとで知りました)。
ギロリと上から下まで視線をはしらせ、
「あんたたちか、水戸の人って」ドスのきいた声でした。
「はい、予定より早く着いてしまって、ここらを少し散歩してました」 ニコッ!
「とても素敵なダムですね、きれいに管理されていて驚きました」 ニコッ!

褒められて悪い気がしないS木さん。でもお世辞じゃないんです。広い草地がきれいに手入れされているのです。
「アザミがありますね。マツムシソウらしきのも見つけました」 ダメ押し。
子どもの頃、植物採集の父のあとをついて回ったことが活きましたよ。

西郷 

4年前の早春の西郷ダムを夫のfacebookで見つけました。探せば緑の写真もあるはずなのですが、きょうはこれしか見つけられませんでした。
この斜面が緑に覆われるときれいです。草刈りはS木さん一人でします。
斜面の右側が石積みのダム湖、西郷貯水池。ここで生まれて初めてカヌーに乗りました。

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2018
05.17

秘密基地

「秘密基地」はむろん、二人がそう言ってただけで、本当は「西郷ダム」
ダムの貯水池側が石積み、反対側が草地の美しいダムです。

   西郷ダム 
   (中皮腫と診断されて3か月後、秘密基地を訪れた日のことを書いていました)


無愛想な取り付く島もなさそうなダムの管理人S木さんを、あっという間に丸め込んだ凄腕(?)の私たち二人。もとい、厚顔無恥な二人。
この日から何回ここへ通ったことか。家からは片道3時間半。長い休みのほかは、金曜の夜出発して、日曜夜に帰るということを繰り返しました。
何がそんなに魅力的だったかというと、誰もいない、世間から遠く離れた場所だったことです。
それからもう一つ、これはのちになってのことですが、そして前述と矛盾することですが、そこには管理事務所があって、電気が通っているし、しっかりした水場があったことです。

初めのうちはテントを設営して、水タンクも据えつけて、正しいキャンプ生活をしていたのでしたが。
管理人のS木さんと気が合い親しくなるとS木さんは、立ち入り禁止のゲートの鍵の在り処を教えてくれ、管理事務所の玄関の鍵も。そして、
「雨が降ったら、中で休んでくださいよ。布団もあるし、冷蔵庫もプロパンも。お風呂も入ってくださいよ」
初めはそんなことしたら、キャンパーの名折れだ、くらいに思っていましたが、ひどい雨に降りこまれたあの日、ついに、私たちは管理事務所に逃げ込んだのでした。
あったかい・・・濡れない・・・安心・・・  堕落の始まりでした。

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2018
05.16

秘密基地

先日トラックの荷台で見た「西郷村小田倉」で秘密基地を懐かしく思い出しています。
その場所を秘密基地と呼ぶのは、そこは誰もが行ける場所ではないからです。
もう年月も経っているから書いてしまうけれど、そこは農政局管理下の灌漑用ダム湖サイトなのです。

ある年の4月、釣りに行って偶然その場所を見つけました。
その時そこで10人ぐらいがキャンプをしていました。
一目でこのダムサイトを気にいった私たちは、どうしたらここでキャンプできるのかを聞きました。
彼らはモゴモゴ言うだけで教えてくれませんでした。

家に帰ってすぐに、「立ち入り禁止」の看板に書いてあった電話番号から住所を調べ、ここを管理している土地改良事務所に手紙を書きました。
他のどこよりも私たちは素敵な場所だと思う、2,3泊の天幕生活を許可していだきたいと書きました。
勿論、撤収のあとはごみ一つ残さないし、来たときよりきれいにして帰りますと、一生懸命書きました。

願いが通じて許可されたあとの5月の連休、私たちは喜び勇んで向かいました。
するとこないだの連中も来ていて、私たちを見つけると不思議な顔をしました。
「えっ、許可されたの?」

彼らはこのダムの管理人とあるルートを通じて親しくしていて、特別許可されていたのだとあとで知りました。
なので、私たちが許可を得られるとは思っていなかったようでした。
それはともかく、こうして彼らとも仲良くなり、気難しい管理人さんを笑顔で丸め込み、私たちの秘密基地遊びが始まったのです。

IMGP5427.jpg
ニゲラが花盛りです

ちょっとだけ秘密基地の話をしようと思って書き始めたのですが、次からつぎと思い出すことがあって、長くなるのでまたの機会に続きを書いてみようかと思います。

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2018
04.30

今年も四時川

毎日が日曜日の私に大型連休は関係ないけれど、学校に行っている孫には楽しみの休みですね。
約束した通り、きょうは福島県勿来の四時川渓谷に行ってきました。
去年の連休に3人で行きました。夫の思い出の場所です。
春が急いで過ぎていったのか、春の花たちはほとんどが終わっていて、緑も濃くなっていました。去年は山桜が咲いていたのに。
でも、水戸よりは北にある場所なのですね、緑がまだ柔らかくて心洗われました。

四時川ムグラ
大きな石に腰を下ろして満足げに笑っていた姿が蘇ってきます。
右の野草は「クルマムグラ」と思われます。
数ミリの小さな花です。

カメラを忘れてしまって、写真はスマホの3枚しかありません。
あとの1枚は道端で驚かされたほそなが~い、にょろりとした生き物。一人だったら足が竦んだでしょうけど、娘たちがいたので写真を撮る余裕がありました。


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2018
04.08

映画を観に

義母のことについてみなさんから暖かい言葉を頂きありがとうございます。
母のことを、ようやく安心して考えられるようになりました。ほとんど分からなくなっている母ですが、なるべく訪ねて行きたいと思います。守ってやれなかった罪滅ぼしです。

さて、昨日は千葉県柏市のキネマ旬報シアターに、上映初日の『ニッポン国VS泉南石綿村』を見にいきました。
3時間35分の長編。途中10分の休憩がありました。
映画について語る知識はないのですが、うーん、アスベストや泉南の歴史を知らない人に伝わっただろうかと思いました。
私は『国家と石綿』を読んでいたし、少しはアスベストの歴史を知っているので分かりましたが。

上映後は原監督のトークショーです。

強烈な個性のない普通の人々を撮っていて、はっきりしたテーマも見つからず、テーマを探すことがテーマだった。
撮影現場では人間の感情を描くことを第一に考えていた。
ドキュメンタリー撮影は裏切られることが多いが、その積み重で作られていく。
泉南のあとの建設アスベストに繋がる観客を動員できたらいいなと思うけれど、観客数が延びていない。

こんなことをスマホのメモ帳に書きながら聞きましたが、撮影の裏話を聞いてシーンの意味が分かりました。ということは、解説がないと分かり難いということかな? 私の理解力が足りないのね。
始まる1時間前に着いたのですが、ロビーで待つ人は映画好きと一目でわかるような人が多くて、私はなんか場違いなような。
着流しに扇子を持った男性。カンカン帽にサングラスの男性。二人とも若い方です。強烈でしょう、田舎者の私は目で追ってしまいましたよ。

P_20180407_110700.jpgDaKXV4QVQAAmphc.jpg
(原監督の写真は、私が撮ったのは余りにボケボケなので、キネマ旬報シアターさんから借りました)


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