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2015
03.21

諦観

Category: 思うこと
生きてりゃそりゃあ、いろんなことがあるわよね。
これでもか、これでもかと難問に襲われた我が人生。
それはほとんど子どもに関してで、自身の問題ではなかったと思うのですが。
でも、無関係でいられることでもなくて、ほんとうに進退窮まったこともありました。
それらこれらの長いトンネルを抜けて、ようやくこれからが楽しみね、今まででいちばん穏やかな暮らしになりそうねという時に、よりによって絶望の淵に立たされることになるとは・・・

友も、兄も、従姉もいちように、
「なんであなたなの」
そうですよね、どうしてなんですか。前世があるとしたら私は、余程酷いことをしてきたからですか。その報いを今受けているのですか。
いえ、ちょっと思っただけです。
なんでと考えたって答えなどあるはずがない。
いえ、例え答えがあったとしてもこの事実をないものにできるわけもない。
そう思ってそれらを淡々と受け入れてきたように思います。たぶん夫も。

エリザベス・キューブラー・ロスの「“死に至る”人の心の働き」については、浅く読んだことがあります。
その時は、「第5段階 受容」に至るまでの時間の長さを思って、自分はそこまでたどり着けるだろうかと恐怖を感じたものでした。
でも今は、もしかしたら人は案外強いのかもしれない、哲学や宗教を知らなくても、人には程よい諦めが備わっているのかもしれないと思うのです。
どうにかしようと思っているうちは、とても苦しく辛いものでしたが、どうにもできないと分かってからは、「受け入れるしかない」「今を生きるしかない」と自然に思えるようになった気がします。
私に「強いね」と言う人がいるけれど、強くはないのです。弱いから弱い分だけ「諦め」が人より備わっているのだろうと思います。

そしてなにより、私は「人」に恵まれていると、ありがたく思っています。
友人、家族、そして拙ブログに来てくださっている、私が勝手に友と思っている方々。
わたしはみなさんの体温を感じます。
あたたかい日差しの中できょうはこんなことを思いました。


玄関

孫が 卒業式でいただいてきた  花束
いろいろあって これからもあるだろう 孫
友も こんなに大きくなってと 涙ぐんで

この孫を 大きくするまでは がんばらなくてはならない


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