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2018
02.12

貧しい子ども時代

Category: 懐かし話
ブログ『海見えて』を書いていらっしゃる遠音さんが、11日に「友よ生きていますか?」を書かれ、きょうは「生きのびることを学ぶ」を書いてらっしゃいます。
遠音さんは開催中の冬季オリンピックを見ながら、北に渡ったかつての同級生を想い涙を流していると書かれています。

私にも朝鮮籍の友だちがいました。もしかしたら、おかあさんは日本人だったかもしれません。
色が白く物静かで可愛いスカートをはいていました。絵を描くのがとても上手で、ノートの裏のほうのページに可愛らしい女の子の漫画を描いてもらいました。
小学校5年生ごろです。成本久子ちゃんが朝鮮籍だなんて知りませんでした。
「ボロ買い」と言って揶揄されるのを耳にしても、私には何のことか分かりませんでした。
私が成本さんの家に遊びに行くととても喜んでくれました。
6年生のいつ頃の季節だったでしょう。1961年です。成本さんの姿が見えなくなったのです。
一緒に中学に行くとばかり思っていたのに、黙って転校したのかと寂しく思いました。

長じてから私は、成本さんは帰還船に乗ったのではないかと思いました。噂でお母さんと妹は日本にいると聞きました。
北朝鮮のことがニュースになると、成本さんはどうしているのだろう、寒くはないかしら、ひもじくはないかしらと思います。
私と同じようなお婆さんになって、幸せに暮らしていることを祈るばかりです。

そして遠音さんのきょうの「生きのびることを学ぶ」には、「しらみたかり」と「がんべたかり」のことを書いておられます。
我が地方ではおできが頭や首筋にできている子を「カサコ」と悪口を言ってからかっていました。
私は、一度も口にしたことはないですが、男の子たちがそう言って特定の子をからかっていたのは知っています。
体の小さい、頭が白い粉をふいたようになっている男の子でした。
栄誉状態が良くないので傷が治りきらなかったのでしょう。カサコの痕は、禿たようになっていました。
イジメに加わったことはないですが、かばったこともない傍観者でした。
親しくもない男の子だったので、その後の消息は知りませんでしたが、2011年、津波の犠牲者の中に彼の名前を見つけました。
トラコーマでただれた赤い目の顔が、脳裏に浮かびました。

こんな悲しい寂しい子ども時代があったことを、ちゃんと後世に伝え残していかなければならない。
今の繁栄が、初めからあったと思っているかもしれない子や孫に、どう話せば想像してもらえるだろう。
遠音さんはコメント欄を閉じてらっしゃるので、こんなことを思いましたとお伝えしたくて、書かせていただきました。


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