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2018
07.19

「たら・れば」

編み物をしている時にふと思うことがあります。
あの時断らなかったら、私の人生どうなっていたかと。
「たら・れば」の話です。

50年ほど前に父の友人が我が家を訪ねてきたことがありました。
私の編んだレースの大きなドイリーをその方にお見せするように言われました。なぜなんだろうと思いましたがお見せしました。
その方は「根気よく編めてますね。ちょっと手が固いですね。几帳面なんでしょうが、もう少しゆったりと編むといいですよ」というようなことを言われたと思います。変なおじさんと思いました。

後日、父母から話がありました。
先日の方が、私を養女に欲しいと言っているということでした。
父の友人のその方は、仙台にある編み物学校の理事長だったのです。
でも私はその時は洋裁に夢中でしたから断りました。編み物は花嫁修業の一つぐらいにしか思ってなくて、レース編み以外には興味がありませんでしたから。
私が20歳のころです。

曲がり道
曲がり角 (フリーの写真をお借りしました)

「たら・れば」 どんな人生になってたでしょう。
編み物学校の校長先生? でも、花嫁修業などする人が減って経営難に陥り、苦労の人生だったかもしれない。
「たら・れば」の繰り返しですよね、誰でも、みんな。

そして話にはオチがあって。
私の二人しかいない従姉の一人は、勤めていた幼稚園の園長先生に請われて養女になりました。
小さい時からほとんど従姉の付き合いが無いので、今はどうしているか分かりません。芦屋の幼稚園だと聞いています。そう、この間行ったお屋敷町の芦屋です。

「たら・れば」 想像だけは自由ですから、時々思ってみます。

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